書物蔵

古本オモシロガリズム

件名標目を日本で自力で発明しようとした人→高山宏先生

高山宏氏の火宅の人ぶりについては、どっかで読んだんだっけ(*゜-゜)
もり・やうすけ氏に紹介された次の書をちら見。

やうすけ氏曰く

高山はあれだけ百科事典(高山曰く百學連環と譯すべしとか)やシソーラスのことを度々論じておきながらいまだ圖書館學には蒙いといふのは、日本的なのか文學的なのか……

いや、結局、日本的なのです。むしろ昭和20年から昭和27年までに成年をむかへた人々であってみれば、メリケン人のじきじきのご指導のもとにあったので、CIE図書館に飛び込むなりして、もっと直輸入の、といふか、米国図書館そのものに出逢ったはずなのでござる。もっとすなほに、百学連環のなかに這入っていけたやうな気がするでし(o・ω・o)ノシ
実際、紀田順一郎先生はリアルCIE図書館に飛び込むことを得たゆへに、件名目録を自力で(米国に遅れること100年で)再発明することなどせずに、すなおに日本は遅れているとて米国のマネッ古すべぇ索引家協会を作ったわけでござる。ってか、占領期の人はみな、帝国日本をなぎ倒した圧倒的力(それは情報処理も含めてだけど)を見ていたわけで。

ん?(・ω・。) Volksbibliothekskundeとな(゚∀゚ )アヒャ:概念あそびで図書館あそび

あたかも、やうすけ氏よりこのやうな電子書簡が届いたことでし。

folk psychologyといふ言葉があります。folk etymology(民間語源説、語源俗解)に倣った造語です。要は、學問的な心理學とは言へないけれど民衆が自生的に心について考へそれなりの理論を持つに到ったところでそれを指す言葉で、その意味では「素朴心理學」とも譯されます。
 高山宏は(そして小生も?)本好きの素人として、謂はばfolk library science(素朴圖書館學)を自然發生的にやってしまったわけです。或る意味では、これこそがfolk taxonomy(民間分類、民俗分類)でもありますか――但し元は民族學・人類學に關はる用語で、ここでは書物に對する分類に限りますが。近年の情報學では約めてfolksonomyとか呼んで、ウェブ・ユーザーの非統制語彙による自由なタグ附けを論じたりしてゐるのは御承知の通り。

概念装置を発明するというのは、学者の仕事であるわけだけど、実はそれ自身、オモシロいお遊びでもある。趣味と研究といはんか、あるいは、学とは本来、道楽でしかないといふべきか。
やうすけ氏の

folk library science(素朴圖書館學)

といふ概念が、立派に成立してしまふ立論を読み、「(゚∀゚ )アヒャ」の4連発を発してしまったことよ。まあ、scienceといふと、いかにもnatural science的なので、むしろ、「Volksbibliothekskunde」(通俗著作集積術)と云はしてもらひたい!`・ω・´)o
でも、学究たる友人に見せたら。

いかがなものでせう(σ・∀・)

と、すべてをひっくりかへすジョーシキ的なこたへをかへされてしまったことであつた(*゜-゜)
まったくもう、知のあそびを解さぬ学者であることよ(*´д`)ノ
でも問題は、folk taxonomyが、folksonomyとかになったことをどう捉えるかぢゃ(σ・∀・)
むかし、「情報法学」なる図書がやってきて、法学専門分類表に、んなもんないと判ったときに、いやさ、これは結局、通信法学の延長上にしかない、とて、通信法に定位せしめたことがあったけれども、現在ではフツーにさようなる概念の本がでてをる。まことに人間といふものは、概念を発明することによって実態をも発明することができるものなのぢゃ。
ここいらへんのことは、たしか放送大学の教材に書いてあったやうな…
でもホンタウに問題なのは、library scientiaを習得したとされる司書どもが、computerでdictionary catalogモドキを再発明して、発明した発明したということではありますまいか。
いやこれが、縁無きfolkなら、folk librarianshipと温かく見守ることもできませうが… ホンモノのlibrarianが、モドキをやってたら、生暖かくしか見守れない…