書物蔵

古本オモシロガリズム

高梨章「図書館と大衆:そのリテラシー問題(昭和戦前・戦時期)」『図書館界』62(3)をナナメ読み(^-^;)

http://wwwsoc.nii.ac.jp/nal/kai/v62/takanashi-3a.html
当時のクニゾーたんがよく言っていたことだけど、戦前の国民は大抵、小卒で、それも小学校をでてしばらくすると、読み書き能力が低下しちゃう話。んー、端的にいってタイトルの「大衆」というのは、大衆(mass)の意味だろうから、中身とはズレちゃうのでは(σ・∀・) 有山タカシが「大衆図書館」論を唱えたように、むしろ戦後、民衆のリテラシーが上がってくる時、図書館界にでてくるのが「大衆」では。
戦前の、小卒ばかりの国民相手の話をする場合に、日本図書館史学のテクニカルタームとしては「民衆」あたりを使ったほうがよいのではないかと。
って。
それよかびっくりしたのは、論文の最後に、なぜだか2つも「追記」があり、その「追記2」に堀内庸村さんがでてくること。
庸村さんってば戦後もおつきあいで『図書館雑誌』に1回だけ寄稿しとんので、それをひいてんだけど、なんだか庸村さん、ずいぶんとマジメな人のように印象付けられるなぁ。わちきの調べでは、もっとお気軽な人ですよ(σ・∀・) まあ熱心ではあるけれど(σ^〜^)
ん?(・ω・。) わちきのへぼな文章は見つからんかったかな(=゚ω゚=) 三浦先生が最近日本図書館史研究では人物への関心がたかまっとると『時事的報知』でいっとったが、いやぁこれは逆に、いままであまりに放擲されてきたということにすぎなくて(ちょうど昭和20年代の図式的人民史観みたい)、やっぱり今生きてる業界人のように理解しなおすと、その図式さえとってもよくわかるようになるし、なによりオモシロい。
クニゾーたんが「異常な熱心家」(@杉森久英)であることは別格として、その下の三羽烏(ご存命の梶井先生については、『文献探索』の深井さん特集に梶井夫人によるとってもオモシロな一節があり、森さんとこのまへそれでおほいに盛り上がった)らを、とりあげようとしたのは福永先生。で、そこにも堀内さんは出てくるんだけど、登場人物たちの関係性までは記述できなかったようで残念。