書物蔵

古本オモシロガリズム

出張先で古本漁りまくりのクニゾーたん!

このまえ、なんで社会教育家クニゾーたんは帝大の司書官なんかになったんだろうという話がでた。
うろ覚えだけど、その理由やキッカケはあまり語られていなかったような。
中田邦造石川県立図書館長を辞して」『石川県中央図書館月報』(198) p.2-3 (1940.4)

新しい立場〔東大の司書官〕において私の仕事がもう可成進んでゐることは最初に述べた。それはやはり深く公共図書館に結びついてゐることである。それがうまく計画通りに進行するならば、恐らくは余り遠からぬ将来において、従来からの同僚諸君のすべてに一緒に喜んでいたゞくこともできようと深く期待している。

なんとなく、かなり前からの「計画」があったかのようである。つまり、中田としては東大の司書官という、位はむちゃくちゃ高いが、かならずしも社会教育、公共図書館からは離れた役職でも、それがらみの何かをできると踏んでいたということであろう。
結果としてやっていたことから逆算すれば、事務局の弱いJLAを実質的に引き受けて、全国的読書運動を行うというものであったわけであるが、そんなことを司書官になるまえから考えていたのかな。いたとすれば、司書官に中田を招聘した人物のもくろみもあったはずでは。
などと思っていたら同じページにこんな記事。

意外?な古書マニア???

・桂井米翁「中田氏と図書館:二三の思ひ出」『石川県中央図書館月報』(198) p.3 (1940.4)

まだ一つ中田氏に就いて驚かるゝのは氏の古書古物の蒐集である。一夜私用で氏のお宅を訪問したことがあつた、〔ママ〕迎へ入れられた所は、応接間でもなく書斎でもない書庫の一隅であつて、承れば其小さいテーブルのある所が氏の応接所であつて、見渡したあたりは全部洋書の組棚が天井にとゞかんばかり幾つも幾つも並んでゐ、四方の釣り棚には紙に包まれたものが沢山見ゆる、其内最も大きなものは、何ですかと聞くと拓本であると云はれて、まだ二階には和書がウンと積まれてあると昵近者が聞かしてくれた。

ほへー( ・ o ・ ;)

氏はまことに東行西走南船北馬と駈け巡り其間寸暇を利用して車中に筆を執り、何れへか着するか又は帰邸すれば直ちに古本屋古物商漁りをやられたものであるそうな。

ほへほへー(×o×)
意外なり(・∀・`;)
たしか1940年ごろの図書館雑誌記事で、司書にゃあ事務派と社会教育派がいるけど、事務派はやめて社会教育派になれ、ぐらいのことを書いていたような。
ふつー「事務派=整理担当=愛書趣味」という図式なんだけれど(逆に「社会教育派=閲覧担当=精神主義」、クニゾーたんのバヤイ、「社会教育派かつ愛書趣味」というめづらしい(σ^〜^)