書物蔵

古本オモシロガリズム

けふは朝から図書館?

某所へ潜入す。
増築ゆえなんだかへんなつくりだけどよい○○○である。
最初、出納を試みるも、さしたる戦果なく。
再度の検索にて、
ん?こりは。
とて出でたる一見、つまらなき『応募文集』中に、

こりは。。。ゴロウタンの影響を認めざるをえんか(゚∀゚ )?

といふやうな記述を発見し、実はゴロウタンをyonei先生ほどには評価しとらんわちきに意外なる見直しをば迫ることになりたり。
宇枝さえなる者の論説。いい言い方をすればきはめて強い影響、わるい言い方をすればゴロウタン著のパクリなり。
そして、ある意味パクリでない著者の真情を述べたる部分。

私達は図書館の配達される本に対して如何程の感謝を捧げることでせう。勿論この配本に要する経費が要するならば、少額づゝ之を利用者から徴収されることも差し支へないと思ふのです。(宇枝さえ「婦人の立場から」『応募文集』1940)

これ(σ・∀・)
まさしくこの考へ、まさしくこの論理こそが、石井㌧先生にゴロウタンを無視させたものであったといふことは「ゴロウタンは三度死ぬ」に書いたことであったことよ。
ゴロウタン(乃至図書館側)が、やむを得ずして配送料を徴収するというサービス形態が、利用者側からすれば、これほどのサービスならば、料金徴収ぜんぜんOKよ、という論理が自主的に出てくる。
この論理構造をも㌧先生がおそれたことであったのだろうか。
まぁ、そこまで㌧先生が全知全能とまではいはんけれど、首尾一貫はしとるわいね。
そしてこの宇枝さえ(この人、内地に引揚られたであらうか)の論説はまさしく、戦後70年代的図書館観にもっとも忌避せられる図書館観であり、ゴロウタンが抹殺せられた主因であったといってよいと思ふ(*´д`)ノ
しかしこのやうなハマる記述がでてこやうとは(゚∀゚ )