書物蔵

古本オモシロガリズム

あいかわらず古本市へいけず、いまの図書館本を読んでしまふ(^-^;)

いまのことの感想を書くと、またどなりこみきちゃうかすら(・∀・`;)
まったくもって、「わけいってもわけいっても世間」ですら(*´д`)ノ
このまへ、だれだったかのツヰッターで、日本図書館情報学のレビュー誌が紹介されてたんで読んだんだけど、レビュー記事が少ないのは、端的に言って研究業界が狭すぎて、「世間」として言説を抑圧する機能がつよいからではないかいな。人格と研究をあえて分けるということができない傾向になっちゃうからねぇ業界が小さいと。
しつこく繰り返すと、いまゾッキ本にもなって古本市へ行くとかならず出ている『日本の植民地図書館』、レビューがそもそもひとつも出なかった。主題はいいのに、資料の誤読や実証のない思い込みが満載というすごいもの。だったら、それをキチンと指摘するレビューが出るべきだったのに、図書館関係誌にひとつも、ただのひとつも出なかったというのは、これはどーゆーことか。あったのは館界に無関係な経済史の専門家、金丸先生によるものだけであった。わちきは、日本図書館史家はどーしよーもな、と思ったことですよ。
と、あたかもよし、田井かくお先生が『図書館の基本を求めて(3)』を出したので読了したところ。糸賀雅児先生や薬袋秀樹先生や安井一徳氏や千代田図書館や山中湖情報創造館や常世田良氏までも批判されている。いや、批判は結構けだらけ、というか正直なのはいいことと思います。前川恒雄御大が批判対象を匿名にして批判する(これがホントの匿名批判???)のに比べたら100倍良い。
んー、わちきも忌憚のないところを言うと、(2)と変わらんなぁ、ってか、やっぱり1990年代になって日本社会に登場した「納税者」がいないんだよなぁ立論に。いるのは利用者(受益者)と「市民」。市民ってなんだろ。シトワイヤン?ブルジョワ? 本庁職員や首長、議員、納税者が田井先生のワールドには出てこないんだよなぁ。なにやっても利用者に支持されるのはある意味あたりまえなわけで。
小枠では、じつは正職員ばかりでかためた図書館経営もやりようによっては、いろんなことをやっても効率よくなることはわちきも認めるんだけど、そのいろんなことを「貸出」という語で代表させちゃうんだよなぁ(・∀・`;) そういった1970年代型理論貸出至上主義・貸出中心主義)では、実態としてレファその他、諸々のよいサービスがなされたとしても、外に説明できない。特に納税者が納得しないのでは、とだけ言っておきたい。1980年代までに離陸した図書館が、みな「貸出」という看板しかかかげなかったために、逆に、1980年代以降、それまでに離陸してなかった図書館に資源が投じられることなく、ねたきりになってしまったとわちきは思いますが。
そういった寝たきり図書館が指定管理などですこしよくなったのを、もとからダメだったというのは、いかがなものか。んでも、これは「貸出」の価値を認めない納税者たちがいかんということになっちゃうんだろうなぁ。一種のエリーティズムというか前衛主義で、エリーティズムそのものはわちきは認めちゃうんだけど、そういわれるとまた、そうじゃないぐらいに言うんだよなぁこういった人たちは。