書物蔵

古本オモシロガリズム

この前の図書館小説「おさがしの本は」の政治的正しさについて

図書館界』に、図書館業務が書かれているから他の図書館小説(例えば『決壊』)に比べ、よいのだぐらいのことが書かれていた。
まずもってそれはプロレタリア文芸批評もどきでしかないと指摘させてもらったが、あえてそれに乗って考えてみると。
レファレンス担当なのにどーもレファレンス担当っぽくないのはなーぜ、と思っていたら友人と話してて、「あぁ、読書相談ばっかりなんだよなぁ」ということに気づかされた。
あと、決定的にtoolの話がないんだよなぁ(・∀・`;) これも友人の指摘だけど。司書が個人の経験や知識のみを用いて質問に回答を与えるというのは、レファレンス業務が始まったごく初期の段階で、「それはレファレンス・サービスではない」ということになったのではなかったか。
もちろんレファの立ち上げ期には、司書が勘だけで質問に答えるといったことも実際にやってたわけだが(例えば1950年代の志智嘉九郎)、けれど、それは邪道で、だからこそツールの開発に志智なども血道をあげたのであった。

レファはパッケージングではあるが

以前、『知識の経営と図書館』の最後の注を紹介したけど、あそこに羅列されてたのがレファの現状(米国)での中身。

簡易事項調査、書誌事項確認、相互貸借・文献入手手続き、情報サービス、情報機関案内、選択的情報提供、データベース検索、図書館ガイダンス、文献書誌指導、文献評価、情報管理指導、読書相談、調査研究支援など

ちょっと羅列的にすぎるけど、どうやら米国ではこれらが情報サービスorレファレンス・サービスという看板のもと行われているらしい。
ちょうど日本の「貸出」なるものが、貸出・返却手続きを筆頭として図書館ガイダンス、読書相談などかなり広いもののパッケージングであったのと対照的。
じつは「読書相談」は貸出担当がやるべきかレファ担当がやるべきか、ちょうど中間の性格をもっておって、米国の場合は近年でこそ復権しとるらしいけど、司書の花形たるレファ担当はやらない、ということになっていたのでは。
日本ではどっちつかず。ただ、米国流の考えだと、読書相談はレファ担当ぢゃないんよ。
この小説のレファ担当は読書相談ばかりしているように見える。