書物蔵

古本オモシロガリズム

(社)東京移動図書館ってば、ホームデリバリーをするヒルズ図書館だった?!(×o×)

Hisako姐さんに出されてた宿題http://blog.livedoor.jp/hisako9618/archives/51610749.htmlをここへ。
最初に言っちゃうと、この社団法人ってば、いま、わちきらが考えるような「移動図書館」をやってたのではありませんですハイ(´∀` )

移動図書館というコトバ

いまは、この言葉で書架つき自動車を思い浮かべちまうけれど、じつは昔は必ずしもそうではなかったのです。
このコトバは、"travelling library(旅する図書館)"の翻訳語として戦前からあって、2つの異なる図書館サービスに対して使われていたのでした。
それは「巡回文庫」と「自動車図書館」。この2つを対比的に表にしてみた。

巡回文庫・自動車図書館対照表
  冊数 移動単位 貸出対象 設置場所
巡回文庫 数十〜百 一箱〜数箱 団体 建物内
自動車図書館 千〜三千 一台 個人 駐車場

とゆーことで、いま「移動図書館」というと、ほぼ自動車図書館(mobile library)、BM(book mobile ; ビーエム)のことなんだけど、以前は巡回文庫(団体貸出文庫)の意味もあったのでした。

東京移動図書館ってばどっち?

実はネット上に東京移動図書館についての辞書的説明があるのだ。ってか、『古本用語事典』(の転載)なのだけれど。
http://www.google.com/search?hl=ja&safe=off&rls=GGLG%2CGGLG%3A2006-09%2CGGLG%3Aja&q=%E2%80%9D%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%A7%BB%E5%8B%95%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%E2%80%9D&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

東京移動図書館 とうきょういどうとしょかん 東京相互書園の後身。昭和六年の時点で麹町区内幸町1丁目(大阪ビル内)に開いていた読書クラブの一つ。東京市内を配本地域として、建物内には閲覧室の設備があった。
(久源太郎『古本用語事典』p.178)

この説明もなんだか中途半端で、この「読書クラブ」ちゅーのがなんなのか、「読書組合」なのか「ブック・クラブ」なのか、はたまた「貸本屋」なのかわからんが(゚〜゚ ) 少なくとも、自動車図書館のほうではなかったみたいだということは明らかに。

やはり、巡回文庫的な意味での「移動」

この『古本用語事典』の記述をみつけ、「東京相互書園」と「東京移動図書館」が継承関係にあるとわかった段階で、調べものの展望がひらけたのだ。書園は永嶺氏の著書に記述があり、それに読売新聞に記事ありと。

東京相互書園 最近麻布区三河台町一三に東京東京相互書園(電話青山七七二八番)といふのが創立された〔。〕其は会員組織の一種の移動図書館で会員は一箇月一円三十銭宛の会費を納め特選の新館図書目録に就いて閲覧希望の書名を電話なりハガキなりで申込むと直ぐ自宅へ配達して呉れる〔。〕一回の閲覧申込冊数は三種位と限り一箇月に何種でも読める規定で既に約二百余名の会員があるが其中では市役所並に電気局を始め銀行会社員が最も多数を占めている〔。〕規則書は同書園へ申込めば送つて呉れる〔。〕
(『読売新聞』 (1926.7.3)p.4 )

とうことで、会員制貸出図書館。それが、ホーム・デリバリー的なサービス(自宅配本;郵送貸出)を持っているということなのである。このデリバリーをこの記事では「移動図書館」と呼んでいるけど、続報では、「巡回文庫」であると言い換えている*1。業界誌でこそ「ホームデリベー」などと宅配貸出も米国の事例が紹介されてはいたけれどhttp://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060119/p2、少量の本を送りつける、という意味で巡回文庫みたいなものと考えられたのであろう。巡回文庫としての意味の移動図書館、というワケ。

経営者は

「顧問に片山伸、柴田一能氏を擁し、亀田兼六氏の経営になる」と永峯氏は言っており、亀田憲六(なにもの?)あたりが事実上の経営者なのかもしれない。ただ、改組後の理事長は教育家の三輪田, 元道 (1872-1965) ‖ミワタ,ゲンドウ*2である。

昭和3年1月に改称

で、相互書園は移動図書館に改組・改称する。

公認移動図書館 一昨年の春麻布区三河台町に創立されたわが国初の私設移動図書館『東京相互書園』は其後益読書界の要求に投じて好評を博し昨年 文部省に公益法人としての認可指令を申請中であつたが去廿二日愈之が指令を仰ぎ社団法人『東京移動図書館』と改称し旧東京相互書園の資産権利義務一切を無条件で継承の上さらに新時代の読書機関として内外の設備を充実することになつた〔。〕目下理事長は三輪田元道氏で亀田憲六氏が設立代表者になつて居る〔。〕
(『読売新聞』 (1928.1.27)p.4 )

ちなみに最初にあった「麻布区三河台町」ってば、六本木のアマンドの道はさんで東側あたり。

昭和3年ヒルズ・ライブラリー?

東京移動図書館は今月初め麹町区内幸町一の四同気倶楽部内に移転し同時に三千余冊の書庫を自由閲覧室とし会員に解放した〔。〕会費月一円廿銭〔。〕現在会員数は約五百名ある
(「開放された自由閲覧室」『読売新聞』 (1928.10.7夕)p.10 )

「内幸町ってーと、帝国ホテルの界隈かしら」と思って、『東京都三十五区区分地図帖』を見たら、ここが入った「大阪ビル」って当時、有名だったらしく、すぐ判った。いまは「日比谷ダイビル」というのが立っているところ。しかしまぁ場所が良すぎ。丸の内と霞ヶ関の接点みたいなもん。
閲覧室は、掲げられた網点写真を見るかぎり、書架には硝子戸が入っておらず、ほんとうの自由接架(free access)・開架(open shelves)であることが判る。戦前の自由開架は極めてめずらしい。

サービス内容

昭和11年の読売にも活動が紹介されている(「簡単に電話で本が借られる」『読売新聞』 (1936.7.9)p.5 )。その記事によれば、閲覧室があること、電話やハガキで自宅や勤め先に本が届くこと、貸出しの度に本は消毒し、「包紙」(カバーのこと?)も毎回新しくすることなどが報じられている。
蔵書構成は一般書を主体にしていたらしい。「当図書館には余り専門学術向の書は備えませんので」(『読売新聞』(1931.2.28) p.4)と選書方針らしい館員の言葉が記事にあるし、記事や一覧から蔵書数は5千〜7千冊ぐらいだった(戦前は、1万冊を超えればまあまあ立派な図書館)らしいのに、蔵書目録の類が現在まるで残っていないところをみると、オンライン・リクエスト(・∀・)を受け付けるわりには、在庫管理は簡便な方式をとっていたのだろう(例えば書名順に排架するとか)。

東京移動図書館とは

辞書的にまとめると、こーなるかすら…

宅配を特色とした会員制図書館。1926年3月、今の六本木に設立された「東京相互書園」を前身とする。1928年1月に文部省の認可を受け「東京移動図書館」と改称。同年10月に内幸町に移転した。理事長は三輪田元道、専務理事亀田憲六、職員は6名ほど。
当初の会員数は約200名だったが、一般書を備え、商社や官庁街に勤める読書階級に大衆小説などを貸出して好評を博し、会員も500名ほどに増加したが、1937年ごろに芝へ移転し、1938年ごろ活動を停止した。
配達は基本的に東京市内。事前に新刊リストが送付されるので、そのリストから選らんでハガキか電話で連絡すれば、個別に配送してくれた。内幸町のビルには自由接架の閲覧室を備えており、直接行って閲覧することもできた。

宅配は郵便を使ったのかそれとも職員がやったのかは不明。勤め先に宅配もしてたんで、もし、丸の内や霞が関に宅配するのであれば、職員が直接持っていったほうがよかっただろう。

終焉の時

なんでも始まりは鳴り物入りだからわかりやすいが、最後となるとよくわからない。
気になるのは、昭和12年ごろ、女子会館(芝公園内)へ移転していること。理事長の三輪田は婦人教育に熱心だったので、その流れに位置づけて再起を図ろうとしたのだろうか? 少なくとも丸の内や霞が関の勤め人相手の商売から方向転換しようとしていたように見えるが。
手許の『図書館一覧(昭和十三年四月一日現在)』には記載があるが、昭和14年4月現在のリスト(『出版年鑑』昭和16年版)にはないので、1938年4月から翌年3月までに廃業していたものと思われる。

研究史

これ自体についての研究はみあたらない。
永嶺重敏氏が『モダン都市の読書空間』の「第6章 サラリーマン読者の誕生」において、大正・昭和期のサラリーマン層の読書傾向を見るのに、読売新聞に載った「東京相互書園」の人気リストを用いているのが見つかるぐらいである。資料はほぼ読売新聞のみで、この団体の最後などに関する記述はない。
かろうじて永末十四雄(図書館史家)が、通史『日本公共図書館の形成』において、書園を「階級性の稀薄な自由な会員制組織で日比谷図書館に匹敵する貸出冊数をあげたから、営業的色彩を持つ貸出図書館の一種とみられる」と評価しているが(p.283)*3、これは移転後の展開を知らなかったためだろう、いささか的を外れた分析となっている。永嶺氏が都心の俸給生活者の読書分析に用いたように、極めて階級性(階層性)の強い読書機関であったというべきである。
組織名に「移動図書館」というインパクトのあるコトバを含んでいるため、従来の図書館史研究の枠内でも耳目を引いたと考えれられるが、これが有料会員制の宅配であると気づいた段階で、「貸本屋かぁ(=図書館ではない)」と思われて、マジメな考究対照からはずれがちであったと思われる。
その意味で、読書史からアプローチした永嶺著に出てくるのは至当であるし、この団体について唯一まとまった記述が、古本用語集にしかなかったことは象徴的といえよう。

ちなみに戦前の自動車図書館は

びみょーにへんてこなwikipediaの記述どおり、日本では戦前にBook Mobileは無かったととりあえずは言っておくのが穏当ではある。けれど、発見しちゃったのだ(・∀・) 昭和13年に…(つづく)

*1:「市内唯一の私設巡回文庫即ち麻布区三河台町の東京相互書園を訪ねて、(以下略)」(「巡回文庫の傾向」『読売新聞』 (1926.11.22)p.4 )

*2:みわた・もとみちが規範的な読みらしい。『図説教育人物事典』

*3:移動図書館東京相互書園」という名称で『文明批評』(2)に記事ありと。