書物蔵

古本オモシロガリズム

アカデミズムで流行りの概念

ありとあらゆるはやりから距離をおく書物蔵(だからぜんぜん流行らぬ図書館史なぞに興味があるのだが)。
医学から来てるんだけど、エビデンス・ベースのなになに、というのが昨今の学会のはやりらしい。
で、日本図書館史研究にそれをもちこんだ座談会があったよう。流行らぬ館史研究なのでちと覗いてみた。
http://www.kaken-evidence.jp/workshop/5/event070728_1.html
一読、思ったとおりで笑う。やたらにインタビュー(オーラル・ヒストリー研究)してもだめなこと。やはり文書史料をきっちり押さえること。つまり、史学研究におけるエビデンスとはまず第一に文書史料で、証言は実は従であることなど。まあこれは史学的には徹頭徹尾あたりまえのような気がするが…
だけどひとつ指摘しておきたいのは、長生きした人、あるいは勝ち組のオーラルをどう扱うかということが大きな問題なのでは。
岩猿敏男氏が、運動に奉仕する図書館史研究では困るといってたというが、中小〜市民の図書館派の人たちってば、世間的にはともかく業界内では実は長生きで勝ち組の人たちだよ。と、先生達はいえないだろうから言ってみる。
オーラル・ヒストリーってのは、回想録や文書の残りにくい歴史の負け組みを掘り起こすためにこそ有効な手段だと座談会でもあるけど、それを言ったら「中小・市民の」人々よりも、それ以前の、貸出運動に隠れてかすんじゃった志智嘉九郎のレファレンス運動の話とかを追及するのがよろしいのでは。
まずもって存命の関係者がいる政治性といったものとの間合いをどうとるかというのが史学研究の第一の関門。こんなこと言っちゃみもふたもないが、関係者ご存命中は、きちんとした研究・評価はできないよ。
薬袋先生の『図書館運動は…』という運動史批判本が、まともな書評を受けられなかったという事実をまずもって反省せねば。
あと、これはなんかの思い違いでしょうけど、『神奈川<県立>図書館史』という本は無いのでは。『神奈川<県>図書館史』ではでは。