書物蔵

古本オモシロガリズム

関根喜太郎(まとめ2)主に大澤正道氏の記述から

小田氏に送られてきたという記事を入手。
大澤正道関根康喜の思い出」 『虚無思想研究』(19)号(2005.2)
ちなみに、この記事が載った雑誌は第三次のものという。公式ブログ(総目次を兼ねる)あり。http://blog.goo.ne.jp/kyomushisokenkyu

大澤氏の使った史料

とってもオモシロかった。
タイトルに「思い出」とあるが、ご自身が書いているとおり親交があったわけではなく、関根がやっていた出版社に出入したことがあるというところ。
大澤氏の使った史料は。
1)ご自身の見聞
「文京出版社」(文教か)へ行ったときの記憶 ほかに社員はみかけなかったこと。
2)佐藤, 寛 (1893-1970) ‖サトウ,ヒロシの記述
佐藤が『四次元(宮澤賢治友の會機關誌)』(60)(1949)に載せた『春と修羅』についての回想で、関根を「ケチネ」と悪く言っていること。大澤氏は、『春と修羅』をただでもらえなかった佐藤の側に問題ありとする。ただ、関根が宮沢賢治をあまり高くかっておらず石川啄木に夢中だったということはいえるとしている。
3)関根喜太郎の自筆書簡(66通)
これ! これが最大限に重要。やっぱり一次史料がこの世のどこかに残っていたりもするんですなぁ。
これは、小野庵, 保蔵 ‖オノアン,タモゾウ(1897〜1950)(ニヒリスト、歌人)宛の関根の書簡。
藤枝文学館(H19秋会館予定)に寄贈された史料に、小野庵宛書簡があり(ネットによる)、そのなかに関根喜太郎が書いた書簡があったらしい。2004年に南陀楼アヤシゲ氏がメルマガhttp://www.aguni.com/hon/review/back/168.htmlで紹介している資料群のことであろう。2005年には、藤枝市郷土博物館で文学展「郷土の文学者 小野庵保蔵」10/23(日)〜11/30(水)というのもあったらしい。
大澤氏はそれの複写を入手する便宜があったよう。

書簡内容の分析

おおすじは大澤論文を参照されたいが、ひとつだけオモシロいとこを。

関根喜太郎ジョージ・オーサワ観

大沢氏の引用を孫引きさせてもらう。「なかなかいい処があるんですが、世人から誤解される言説をはくのとすこし物事を誇大に云ふくせがあっていけないのです」(S17.9.24付書簡)とあり、大沢氏は「見るところをちゃんと見ている」と評している。わちきも同感なり。

用紙の分析

便箋や原稿用紙の題字からおよそ関係してた団体、時期が類推できるという。
1928〜ca.1938 刀江書院
1941 大日本法令印刷株式会社
1942 (財)戦時物資活用協会、出版相互興信所、「関根康喜原稿用紙」

妙にはぶりのいい成史書院

大沢氏は成史書院を「仲間の本を出すために設立されたいつもの出版社だとみていたが」、『古通』の小田光雄論文を読んで「愕然とした」という。「その金蔓はなにか、戦時物資活用資源協会や桜澤あたりが匂うが、確証はない」とも。
4)関根喜太郎や=自殺説の出所
つねづね疑問に思っていた自殺説。大沢論文に明確な出所あり。これはありがたし。
高橋, 新吉 (1901-1987) ‖タカハシ,シンキチが『宮沢賢治全集』第七巻月報(1973.5)が「まもなく関根氏は自殺して果てた」というのがそれ。関根喜太郎については、ほんの2,3パラグラフなんだけど、この記述の信憑性については、実は結構分析できるんじゃないかと思うのだ。
(「まとめ3」へつづく)