書物蔵

古本オモシロガリズム

反町「語録」はものすごい

千円でひろった『弘文荘反町茂雄氏の人と仕事』(1992)。
後半に反町茂雄の「語録」が…
それが、いろんな意味でなんともスゴイのも、反町の生前の凄さのあらわれか。フレーズ自体の凄さや、それをそのまま載せた編集子などにもすごいと思ったが。
戦前、東京帝大の、それも法科をでて、古本屋の丁稚からはじめたという凄さ。矜持。
いま東大を出て、古本屋になるのとはもうぜんぜん、比較にならない。
その覚悟の程というか矜持が、いろいろな語録になったと思う。
ひとつだけ引用すると

あの人はいい人です。しかし、ただそれだけの人です。

ヒェー。
もちろん、こんなモノスゴイものばかりでもなく、「古書を購入するとき、ためらうようならお買いなさい」なんて役立つものもあるが…
ここでは図書館史がらみをひとつ。

滅びそうな国に古典籍は売りたくない

彌吉光長が、語録にこんなことを書いている。

昭和二十年二月私は落零(おちこぼ)れるように羽田に着いた。軍人家族の引上げで満員の中に不安の雰囲気が漲っていた。
〔それから古典籍を買いに行ったところ〕
反町さんは客の私に対して言った。
「私は日本の文化財を外国に売りたいのは日本の文化財が財質共にフランスに匹敵することを知らせたいからです。
私は今の満洲英米に匹敵する安全さを持っているか、自信が持てません。先年二、三点あげたのも取返したいぐらいです。」

あんたんとこはソ連が攻め込んできて滅亡する気配が濃厚だから、貴重な古典籍は売りたくない、というもの。これもまた、ものすごい。
そして、たしかにこの6ヵ月後、満洲国はイングランドや米本土、そして日本内地よりも安全でない場所となった。
たとえば「一燈文庫」運動で配本をうけていたある開拓団の団員約1200名のうち、生きて内地の土を踏めたのは400名ほどであった。
そうそう、彌吉のハナシはもちろん、そんななかでも、典籍を自分は守ったよ、という武勇談につながっていく。うーん、彌吉さんらしいというか…