書物蔵

古本オモシロガリズム

高橋健二文化部長の読書運動認識(満洲の沃野に読書はあったか 10)

文化部事務員さんは、読書運動なんかやっても役にたたねー、と思ってたとゆーけど(もちろん杉森のこと)。
文化部長さんは、それなりにきちんと読書運動にもつきあってくれてたみたいだよ。
部長さんの自伝『万華鏡』(1978)には、戦時中のことは、ほとんどぜんぜん出てこないから、困ったなーと思ってたら、ある文献にこんな記述があった。

青少年工の指導に挺身している人が「青少年工が読書をするやうになれば、占めたもんですよ。読書をするやうな工員に悪いのはゐませんからね」と述懐していゐるのを聞いたことがある。自ら教養に志すやうに導けば、能率の向上は期して待つべしといふのである。(p.20)

これは健二さんの意見じゃなくて、読書指導に「挺身している人」の意見ね。
高橋健二が会った、指導に挺身している人って、もしかして東京芝浦電気の高橋慎二さんかなぁ。
でも健二さんも地の文で、

単に知識や学力の問題ではない。その心構へ、心がけの問題である。もちろん、国民学校六年卒業だけで放置しておけば、丁年までには平均学力四年生の児童なみに低下してしまふのが普通であつたから、生産人として社会人として必要な最低限度の学力を維持するためにも、読書は是非ともつゞけさせなければならない。(p.20)

と、戦争が終わったあとでも、「読書は是非ともつゞけさせなければ」って(^-^*)、読書運動には(おそらく戦争中から)好意的だったとみていいね。

戦争中も青年学校の学科を廃止しなかつた某工場では、一青年工が従来に比して二倍の性能のある鉛粉砕機を考案して能率を上げた外、非常によい作業成績を示したという事実は何を語つていゐるであらうか。

教養が、士気の点からも役に立ったというが、もちろん戦後的なものいいであってみれば、おなじ文献で、教養は何かの役に立つというのではなく、

士官学校や商科大学の著名な先輩が母校にそれぞれ文学書を寄贈し、その閲読を奨励したといふ例もある。有用の用の外に無用の用もある(p.10)

といってもおり、つまりはこー言える(って、ここで言ってるのはわちきだよーん)。

大政翼賛会の文化部長高橋健二は、杉森久英と異なり、おそらく戦中から一貫して、農村や工場での読書運動の意義を認めていた。(by書物蔵 典拠は上記「ある文献」)