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古本オモシロガリズム

司法・立法・行政・・・図書館。(゜Д゜)ハァ? (まぼろしの図書館省 2)

shomotsubugyo2006-09-16
いま・ここにある図書館戦争(『図書館戦争』の感想 2)のつづきね
【論文】職階法のもとで司書は…(まぼろしの図書館省1)のつづきでもある。
左の画像は直筆(と思しきもの)

第四権としての国会図書舘は金森徳次郎から

いま,まともな人には冗談にしか聞こえない第四権としての国会図書舘。

立法府,司法府,行政府,国会図書舘

と並べたら,常識人ならゲラゲラ笑うか,夜郎自大とあざ笑うこと必定。
でも,これ,じつは初代館長・金森徳次郎(「憲法大臣」)にまでさかのぼれることが判明したのだ(ってこのまえ)。
昭和の末,昭和63年5月30日,国会の職員研修会で,岡田温(ならう)さんがこんな証言をしている…

いつの頃か私〔岡田さん〕は館長に,〔国会〕図書館法の前文に「真理がわれらを自由にする」とありますが,あれは聖書から出た言葉と聞いていますが,日本の法律で論語法華経の文句を借用したというなら納得ですが,聖書からというのはどういうわけでしょうとお尋ねしたことがありました。心はアメリカ出来の法律ではありませんか,というつもりでした。

前文がある法律ってのは,憲法教育基本法と,あと,この法律ぐらいしかない,ってことはあまり知られていない事実(2021.8.16追記:あとで前文つき法律がいくつかできた)。
岡田さんは,生粋の日本図書館官僚だったから(彼は「国立+国会」反対派の領袖),へんなのと思っていたんだね。
それに金森さんはこう答えたという。

君はクリスチャンだからそんなことを気にするかもしれないが,そんなことどうだっていいじゃないか。この図書館は制度上立法府に所属しているが,私はこの図書館は第四権的機関と思っている。(強調,引用者)

どひー(×o×)
開館当時の整理局長が,金森さんが「第四権」と言うのを直接聞いたというのだ。

立法府がなんと言おうが,司法,行政府がどんな難題を持って来ようが,それが理にかなっていなければ断固として拒否する。わが館を動かすものは唯「真理」のみ,と考えれば,この言葉は名言ではないか。

出典:岡田 温 「斯くして国立国会図書舘は生まれ出た」『国立国会図書舘月報』(通号 329) [1988.08] p2〜7

大日本帝國ニ「情報府」アリセバ

時は敗戦からまだ数年後。
近代唯一の非白人帝国だった「大日本帝國が,その政治的暴走,軍事的失敗から,何千万もの命を巻きぞえに滅び,三等国家「日本国」になり下がってからまだ日は浅い。
「真理」というと,いまではちょっと違う気がするけど,これを「事実」とか「データ」とか言い換えれば今でもそのままフィットする。
「データ」にもとづいた国家運営。
金森さんが昭和20年代に「第四権」と言ったなら,そうは笑われなかったと思う。
もっとわかりやすく今風に言い換えると…

立法府・司法府・行政府・情報府

の4権をもって,文化国家の「日本国」が運営される可能性が,制度としてあったということなのだ。図書館大臣はその制度的なよすがだったのになぁ。
大日本帝国に「情報府」があれば,昭和20年夏の敗戦は避けられた・・・のかもしれない。

昭和16年、「内閣総力戦研究所」に軍部・官庁・民間から選りすぐった将来の指導者たちが集められた。それぞれの出身母体に応じて「模擬内閣」を組織し、戦局の展開を予想したのだ。単なる精神論ではなく、兵器増産の見通し、食糧や燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携などについて科学的に分析、「奇襲作戦が成功し緒戦の勝利は見込まれるが、長期戦になって物資不足は決定的となり、ソ連の参戦もあって敗れる」という結論を導き出した。この報告は昭和16年8月に、当時の近衛内閣にも報告され、後の首相となる東條陸将も真剣に受け止めていたはずだった。(猪瀬直樹昭和16年夏の敗戦』の紹介文)

対米戦争を回避していたら,もうちょっと違う形の戦後があったんじゃないだろーか。もちろん満洲帝國は傀儡国家だったから存続はむずかしかっただろうし,朝鮮だって,あのままじゃあ北アイルランドみたいになったのかもしれないけど…
いつお迎えが来てもおかしくないおばーちゃんが、以前「おじーちゃんの退職後は大連で暮らそうと思っていた」という話を聞いて、なんか不思議な感じがしてねぇ。
満洲帝国にも、一庶民の暮らしはあったのだなぁ。
もちろん、満洲帝国は「偽満」であったわけだけど、国家にもともといかがわしさはぬぐえんし、今だって、まるきりいかがわしい「イズラエル」という国があったりする。でも、イズラエルの民が殺されればとはいえんでしょ。同様に、満洲国民がソ連兵や中国一部民衆に殺されてよかったね、とは思えんのだわさ。
わちきの図書館史趣味もそこらへんから来ている気がする。

戦後図書館改革の「終着点」は2005年!

ところで…
この第四権論に最近言及したのは誰あろう,参議院議員の坂本女史なのだ。

図書館長は「三権の長」を調整する役割が期待された時代もあったが,今は衆参事務局総長の天下りポストだ。『毎日新聞』(2006.3.20)p.3

坂本先生は国会図書舘の合理化を推し進める改革派。
その坂本先生が,じつはむかしは図書館長が第四権的役割が期待されていたと認めているのだ。
逆に国会の現状護持派からは第四権論なんかぜんぜん出てきてないのー
護持派の職員組合サマは2006年になってから声明とか出してるけどさ,第四権論から言わせれば,独立行政法人になるかならんか,なんてどーでもいいことで,その前の年,2005年の館長の二階級降格のほうが百倍重要だったのだよ。
改革派のほうがよっぽど勉強してるということで,護持派の敗戦は必至だのー。
けどさ,そんな擬似・情報府,図書館省として出発したのになんで,ただの図書館になっちまったのかについては,おそらく実務官僚のせいとわちきはにらんどる。原秀成先生の納本制度研究がその典型例を出してるよね。実務にあわせて理念が寸づまりになっていくとゆー構造。おそらく真面目な実務家が増えれば殖えるほど,そーなる。
あと財政権の独立に関して,降格まえの大臣待遇時代の館長がなぜだか財政法にいう「各省各庁の長」でなかったのはなぜかと長年疑問だったんだけど,
田中久徳「国立国会図書舘法:戦後図書館改革の「出発点」」『図書館を支える法制度』勉誠出版 2002.11の注に,単に国会会期切れのせいだったのでは,というなんともトホホな推測があるのが唯一の答えらしきもの。
2005年の二階級降格が,戦後図書館改革の「終着点」だったわけだよ。
21世紀の日本図書館員は,専門職幻想,貸出幻想,戦後改革幻想が終った時代を生きることになったのー(*゜-゜)遠い目
そーゆー意味では図書館戦争』は,敗戦ズタボロ文化国家「日本国」へのオマージュとなったと(図書館史的には)言えよう。
さようなら,金森徳次郎の,そして中井正一の国会図書舘よ。