100年前のハプニングは三宅博士の次の演説から起こるのだった。
末松ケンチョウ,図書館本の盗難をもって民族の劣性を論ず
次で文学博士末松謙澄(すえまつ・けんちょう)男(だん;男爵)は日本の図書館が猶海外に誇るに足らざるを論じ,公徳の欠乏を以て其の一に数へたり
といふ。
末松は伊藤博文の娘婿ね。
って,ほかにも「大英博物館図書館のほうが,東洋研究本が揃ってる」とかも言ってたみたいだけど,要するに,「日本の図書館はまだまだ。というのも図書館を使う日本人に公徳(公共道徳)が欧米人にくらべ欠けているからだ」という趣旨のことを言ったらしい。
まー,いまでも「欧米スバラシー→日本ダメ」ってな論を吐く人はいますな(わちき?)。
で,特に,
日本図書館に於ける書物の紛失等を指摘して公徳の欠乏を論〔じた〕
という!
ええーっ(×o×)
もしかして,明治の,図書館濫觴時代から本が盗まれていたの?!
これって,日本人は今も昔も公徳心のない堕落した民族ってこと?!
だとしたら,大切な図書館本をぬすむ日本人は劣性民族ってこと?!
演説おわったはずの人がまた登壇!(×o×)奇観なり〜
ところが,これに即座に反論した人が。
誰あろう,もう演説が終わってた三宅博士なのだ(`・ω・´)
「〔末松〕氏の演説了るや三宅氏は再び起つて演壇に現はれ(中略)一駁を試みたり,曰く」…
大英博物館の図書館ってさ,利用は事前登録制だよね。けど,それなのに館内に「外套の紛失等の掲示多きを見る」のはなんでなの?(要旨)
と。
我国人が独り公徳欠乏せりといふの誤れるを見るべし
あらま,これで末松博士の論はあっけなくくずれたよ。
これを見ていた記者氏曰く,
拍手するものあり 一場の奇観なりき
まったく「奇観」なりっ(`・ω・´)
いやーびっくりした。o(^-^)o
粛々とすすむべき開館式で,こんな倫理的にも国際的にも図書館学的にも本質をついた論争が文字通り戦わされていたなんて。外套の盗難とか図書館蔵書の盗難とか。
そうじゃ! この日本最初の図書館論争を
セキュリティー論争
と名づけよう。
ハイカラ博士に国粋的鉄槌くだる!?
このセキュリティー論争,とってもウケたらしくて,『東京朝日新聞』(M39.3.21)の開館式記事でも取り上げられている。
末松男の演説中,府下の図書館に於ける閲覧者の不徳を責め欧米のことを模範的に褒め過ぎたるを以て,真実の三宅博士は再び演壇に現われ,例の訥弁を絞出して之を駁し,新帰朝者なる老ハイカラ青萍博士の頭上に国粋的鉄槌を落下せしめしは近頃の愛嬌なり(句読点はわちき)
とある。
記者は,ハイカラ博士に国粋的鉄槌と言っているけど,よく考えてみると三宅博士は,
日本人の閲覧者同様に英国人の閲覧者にもドロボーはいますよ
といっているわけだから,日本の閲覧者にドロボーがいるって認めてるわけで,かならずしも国粋ではないねぇ。えらいのは日本の国粋というより三宅博士の偉大な常識。
この,いちど演説がおわったのに,あとのものが変なことを言うとみるや勝手に自分から再登壇してしゃべりまくった三宅博士。
三宅雪嶺のことなり(`・ω・´)ゝ