書物蔵

古本オモシロガリズム

毛利宮彦の肖像と業績

shomotsubugyo2006-08-08
畏友がまた毛利宮彦ネタ…
ということでわちきも呼応(して本日のブログをごまかす)
画像は早大図書館史からだけど,典拠が示されていないのでいつごろの毛利なのか不明…
ただ,この人の壮年期以降の画像が意外と(刊行物に)ないことがわかった。
あわてて付け加えるけど,毛利宮彦は日本図書館史上においての重要度は,むちゃくちゃ高いわけじゃない。低中高の3つにクラスわけしたら,中程度かしら。
業績は2つあって…
a)レファレンス理論の国内への紹介
b)戦前にはめずらしい官学系統でない図書館研究
もちろん全体として,昭和戦前期,大学図書館の枠というのがあるけどね。
a)については,日本レファレンス史に欠かせない人物。理論だけでなく実際のツールの開発(『内外参考図書の知識』)もした。
b)は,自分ではじめた?図書館事業研究会の講座モノ『図書館事業研究会叢書』
でもこの人,かなり「はねっかえり」にみえる。

c)性、狷介、自ら恃む所頗る厚く?

『叢書』の別冊をみると…
館界ゴシップ欄があるってハナシはしたよね(松本喜一の官車(公用車)から,検閲制度を覗く
まるでこのブログみたいじゃないですか…
畏友が(おそらく図書館史の文脈では日本ではじめて見つけてきた)毛利の「諭旨免職もどき事件」の原因は目下のところ不明なるも,うーん,その性格が災いしたと思えてきてしまうのも道理。
ちなみに彼没後の言説空間では,a)の文脈で(といっても日本レファレンス史はトリビア中のトリビア)言及されるほかは,意外なことに谷沢永一御大に仮想敵としていささか過大評価されて常にひっぱりだされ(ボコボコにされ)るぐらい。
御大が仮想敵としている件はいちど話したよね。(書誌学vs.図書館学
まあ,そんなところ。図書館史でも埋もれているといってよい。評伝は,(図書館雑誌の追悼録をのぞけば)ひとつもないはず。