書物蔵

古本オモシロガリズム

市井の好事家が調べものをする方法(昭和3,40年代)

デジデジで「私のコレクション」というフレーズで検索すると、本に限らず、いろんな蒐集家の概要や内容がわかって面白い。せんだっては『出版ニュース』誌上での連載を紹介した。よく考えたら2,30点かかげられとる書影はそのまま簡易な主題書誌として転用できることに気づいたが。
ただこのフレーズ、戦前からあって、ほかの雑誌にも骨董その他の記事が見つかる。それらをよく見ると文献系もあって、わちきが面白かったのは、「切腹文献」蒐集家の話。

  • 中康弘通「私のコレクション」『歴史研究』(113) pp. 8〜11 (1970-06)

この記事が面白かったのが、インターネットも文献DBもない時代、市井の専門家がどうやって特定主題の調べものをしたかがわかるとこ。べつにハラキリが好きなわけでは、ぜんぜんナイナイ。

戦前の切腹研究が、封建時代の故実作法や史書に拠っていたのを、文芸や演劇映画等芸能での表現や、近代以降の実例からも、帰納的に切腹の発生を考察してみたい
中康弘通「私のコレクション」『歴史研究』(113) pp. 8〜11 (1970-06)

のだそうな(゜~゜ )
中康, 弘通, 1925-1994 || ナカヤス, ヒロミチ さんは、まづ近場の県立図書館(じっさいには府立図書館)へ「折々に通っては、群書類従だの国史叢書、あるいは広文庫だのを読みあさりはじめた」。
それから「厚かましくも江馬務先生や山名正太郎先生に、研究の方法についてご指導を仰ぎ、はじめて系統的に歴史上の切腹について、資料を集めはじめたのが昭和二五年、二五歳の秋であったろう」という。江馬務に前近代の調べ方を教わるのはいいとして、山名正太郎からおそはったのは、もちろん、

新聞切り抜き

にちがひない( +・`ー・´)b
それからナカヤス氏は、「人間探究」などに記事を書いたところ、

活字文化のありがたさで、誌上に名が見えてからはポツポツ協力して下さる方が現われた。

という。
まあ、人間探究などという、ちょっとカストリっぽい専門誌に書いたのが功を奏したのだろうが、やはり「活字文化」華やかなりしころには、「誌友交際」というのが、調べものにも重要だったんだねぇ(゜~゜ )
文筆家の黒部龍二というひとが、「十六年の永きにわたって〜氏の目に触れる限りの資料を通報して下さる」し、「新聞記事など切り抜いて送って下さる」人もいるし、「ずいぶん丹念に上野の図書館で新聞を閲読し、まことに貴重なノートを借覧させて下さった」こともあるとか。医史学の壬生三郎というひとも玉稿を貸してくれたとも。
府立総合資料館でじっくり閲覧したいが、日曜祝日休館なので全然つかえない。

年に一回一日だけ、社会の慰安旅行日を休暇にして貰って、古新聞を繰り続けるのが、半年分も見られたらいいところ

だという。
古新聞については、とにかくマイクロを見るのが大変かつ具合がわるくなるもので、聞蔵、ヨミダス並みのDBとまではいはんから、せめて毎索の戦前分ごとき単なる紙芝居でいいから国会図書館は全部電子化してほしーよ。
わちきなぞ本来の意味での米国流図書館学徒だから、きちんとDBを開発して網羅的かつ適時に文献検索できるカラクリをつくるべきなんぢゃないかと思ふけど、ダメな状況でも、篤志の人々は、助けあって調べものをしてたんだねぇ。
わちきも、図書館史トリビアなどといふ、世間的にはものすごーく無意味で一銭の得にもならんことを追いかけとるのぢゃが、拙ブログ開設10年目にして数えるに、ブログでおしえてくれた人が、4,5人をられるo(^-^)o 渡り中間さんとか、宇治T父さんとか、センセとか、ヨーネイさんとか、あっと、森やうすけ氏は古書展つながりか。書誌鳥Bは古書〈店〉つながりね。
新しいことや新しい視点で新しい研究をきちんとするには、逆に古い手段も必要なんだなぁ…(*゜-゜)

厚い記述

thick な description というのが人類学研究の述語としてある。うぃきぺによれば「行動そのものだけではなく文脈も含めて説明すること」だそうな。昨今の、検索しますた→見当たりませんでした式の調べものや、そのつぎはぎで論文をつくりなしちゃふのとはサカサ。
まあ、長生きせねばできんのだけれど、テマヒマかけてじっくりやると、自然、厚い記述になっていくやうな気がするよ(。・_・。)ノ