書物蔵

古本オモシロガリズム

[図書館]納本について「叱る」

「プラスのインセンチブ(飴)もマイナスのインセンチブ(鞭)もない」から,とても全部はあつまらないって話を山本夏彦のうがったエッセイをひきながら一度したよね。
まー鞭も飴も機能してない(させてない)制度の問題がまず基本にあるんだけど,じつはもうひとつ,「ストリートレベルの官僚制」といわれる問題もあるのだ。もと米国行政学の用語で,「窓口役人気質」「窓口官僚制」とでも訳すべきもの。

事例「大漫画展」(1991)

1991年末,あそこが「大漫画展」という展覧会をやった。国家が漫画などという下位文化(サブカル)を認知した,なんて善意の誤解をされ,写真週刊誌などに大々的にとりあげられた。マンガを輸出しようなどと政府がいいだすなんて考えられなかった時代のこと。ホント,感無量ですな。
当時あそこじゃあスタッフを館内から動員したら,オタクばっかり集まっちゃって役にたたなかったという… 1991年当時,漫画の全体像を記述した本って,ほんと少なかった。それこそ呉智英の「現在マンガの全体像」とか石子順のとか… オタクでなかったスタッフの苦労は察してあまりある… 
以下は風聞。事実じゃないかも,でも風聞があったのは事実。
さて,大漫画展のおかげで,マンガの納本率がアップしたそうです。出版社も認識をあらためたんでしょうな。でも,このことがじつは現場の,本を受け入れる部門の職員たちにとってはいい迷惑だった。どーゆーことかというと,端的に言って仕事が増えるとゆーことね。「漫画展のおかげで自分たちの仕事が増えた」と怒ったそうな。

トンチキFAQについての行政学的解釈

つまり窓口レベルでは,新たな納本などはぜんぜん喜ばれないということ。
このような事態を,米国行政学じゃあ「ストリートレベルの官僚制」という。直感的には窓口係員の怠慢にしか思えないようなことも,学問的には,「手持ちの資源と仕事量のギャップを無意識的に調整している」とみるわけ。
窓口役人のように,法律を改定することも予算を要求することも(当然のことながら)できず,法律の解釈さえ裁量にないような連中は,持てる極小の資源を調整しながら業務をするわけだけど,その調整のひとつに,「(業務が増えないように)無愛想にする」ってのがあるのだそうな。
「明治文献を寄贈したい!」とゆーありがた〜い申し出にたいして,「納本のページをみよ」とすげなく答えてるのは,要するに「対応する余裕がないので寄贈してくれるな」というメッセージと行政学的には解釈されるわけだわさ。
もちろん,FAQの担当者が,「(法定義務)納本」と,「善意の寄贈として本を納めること」を単にごっちゃにしてるって可能性もなくはないけど… まさか,そんなことはないよね。
不幸なことに,いま,あそこは国民の善意を受け入れるつもりはないとしか見えませんねぇ。変なとこに寄贈するよりも,古本屋に売ったほうがいいよん。わちきもあそこに入ってない本をたくさん持ってたけど,納めてもぜんぜん喜ばれないだろーから,この前の引越しの時,たくさんゴミにだしちったよ。

法定納本の制度的失敗

窓口レベルから制度そのものに話を戻す。
だれも指摘せんし,一部では制度導入をめぐる「美談」ととらえられてるむきもあるけど(その補助金的役割を重く見て),この代償金が納本を不完全にしてる張本人なのだ。致命的。この代償金によって,納本は悉皆収集が不可能になった。
もちろん,当時の政治状況からいったらやむをえないんだけど(出版社は反政府的なのが当然だし,言論界,民衆も反政府だったから),長期的には廃止すべき制度だよ(って出版人の一部が聞いたら今でも怒るだろーなぁ)。
どーゆー理路でこんな,オピニオンリーダーたちから疎まれる論を吐くか。キーワードは「予算」と「窓口官僚制」ね。
税金ちゅーのは国民からまきあげたカネだから,国民の化身たる国会が承認した予算として計上されてなけりゃあ使えない。だから,この代償金にだって予算ってものがあるはずなのだ(なのに日本図書館学じゃあ一度も取り上げてないねぇ)。
一方で,年によって出版点数ってのは増減する。予算で想定した以上に出版物が出ちゃった場合はどうするか。もちろん予算を増やすしかないね。繰り延べして払うとか。
まー,役人が自動機械であれば,そこで話は止まっちゃうんだけど,役人も人だったりする。フツーの窓口役人なら予算にあわせて出版点数のほうを操作することになるわな。もちろん,そんな極端なことはないと思うけど,すくなくとも,「出版点数を真に把握してそれを一生懸命あつめる」よりも「予算にあわせてほどよく仕事をこなす」ほうが,現場としては喜ばれる役人とゆーことになる。
たとえばさ,警官が道を歩いていて犯罪を認知したとする。警官はとりあえず逮捕したあとの予算的なことがらについては無関係だから逮捕するわな。けど,もし警官に予算の縛りがあったら,どうだろう。年間に警官ひとりあたり検挙してよい件数が予算であらかじめ割り振られていたら… 
警官は犯罪現象を認知すれば,自動的に逮捕するのが正しいごとく(それで刑務所がキュウキュウになったとしても,それは別に解決すべき),出版現象があれば,自動的に納本されてしかるべきと思う。そしてそれには,とりあえずは納本の入り口を予算制度と切り離して設計しとかないと。
もちろん,そのあとで整理できなくて倉庫に山積みになるかどうかは,それこそ予算の話になっていいんだけど。
わちきは図書館趣味者なんで,せっかく神聖不可侵たる私有権を停止してまで存在する制度なんだから,もはやまったくインセンチブとしちゃー機能しない代償金なんかやめて,国権の発動として本をあつめるほうがいいと思うぞ。
だけど,こんな単純なこと,だれも書かないねぇ。

付記 草創期当時の苦労

主日本の納本草創期については,下記文献がある。
「国立国会圖書館草創期の収集」『図書館研究シリーズ』no.5 (1962)p.213-230
岡田温,山下信庸,植村長三郎,斉藤毅,小林宗三郎らの座談会をまとめたもの。この雑誌のこの号は,収集全般についての特集号になっていて,ほかにも岡田温「旧上野図書館の収書方針とその蔵書」なんてゆーステキな論文もある。10年以上まえ,勝文堂(池袋)で初号からの何冊か買ったなかにあった1冊。

この記事のタイトル「叱る」について

書誌学会の大御所,長澤規矩也自費出版タイトルのパクリなのだわさ
叱る / 長澤規矩也著. -- 長澤規矩也先生喜寿記念会, 1979 持ってない…(´・ω・`)ショボーン
これ,いろんなものが叱られてるけど,図書館も叱られてる… ついでに言えば,国会図書舘にはありませんねぇ (・∀・)

追記 構造と個人 漢語「情報」の初期用法

ちょっと考えてみたら下記にコメントしたことを修正せねばとおもた。
上記で制度の構造的な欠陥ついて喋々し,個人も制度のなかでは構造の枠内で動いているなどと指摘しながら,あそこの内部関係者さんに「なんとかしてあげて」と言うのは矛盾していたよ。そのままでいいよん。なんとかってたってレトリックでごまかすことにしかならないから (・∀・) デュルケーム社会学の立ち上げの時に,社会というのは単なる個人の集積じゃなくて,プラスアルファが目に見えないけどあって,それを研究したいと言ってたけど,それと同じ。個人の善意と構造は必ずしも連動しないから。
あと内部のことが書いてあったらスグに関係者か?っちゅーのは早計,てゆーか図書館員にあらまほしき思考じゃない。クレトモも書いてたけど,スパイはなにもどっかに潜入して秘密文書を撮影するなんてことはしてなくて,公刊された資料を分析してるだけ。キチンと分析するだけで結構イイ線いけるのだよん。一方で公刊資料しっかり集めてレファレンスに備える,これ図書館員の王道。図書館こそスパイ活動への捷径なり。情報とはもともと諜報のことだと図書舘情報学のイチバン最初にかならず習うのは,そーゆー含意もあるのよ。大抵の学生が聞き流して憶えちゃいないけど。