日本古書通信(2009.1)をめくってをったら、アンケート/昨年の収穫と今後の研究テーマというページがあった。
(1) 浅岡邦雄・中京大学教員
(2) 「大正九年新聞紙出版物差押題号簿」
「昭和十三年出版物行政処分名簿」
「昭和十五年九月十日現在 左翼出版物治警処分台帳」
※すべて資料もの。
(3) 出版氏の一次資料
(4) 近代出版メディア史
(5) 特になし
近代出版史については、わちきも興味アリアリなわけである。
雑誌がごっそり無い
んで、最近気づいたんだけど、日本近代出版物のうち、ごっそり残っておらんジャンルに、戦前の雑誌がある。というのも、本来なら内務省納本を帝国図書館がもらい、それが今の国会図書館に残っておらねばならんのだが、これがまた。
実は今、国会に残ってをる雑誌は、単行本と違って内務省納本ではない、ということなのだ。さらにまた、単行本は内務省納本ではあるけれど、その正本ではなくて副本(内務省納本は民主日本が達成できんかった2部納本であった)でしかないということも、意外と知られていない。で、正本の一部はなんと「東京市立」の各館に配られていたということも(現・千代田図書館「内務省委託本」)。
国会のコレクションを使って研究するには、あのコレクションの出自についてわかったうえでなけりゃあならんハズ。なのに実は意外と研究が進んでいないし、解説したような文献もない。
国会の連中はそもそも現行納本条項のうえに(正確にはそれの実体であるところのニッパン・トーハン)無意識的に乗っかっておるから、納本モレとか過去の納本の行方とかには興味がないようだ。戦前雑誌の未収集についての論文も、組織としてというよりも職員個人のボランティアによる研究らしいし。
まあとにかく、その研究によれば、おおむね3割ぐらいしか戦前雑誌は国会にないということになるわけである。
雑誌の効能:オモシロねたの宝庫
情報の速さ、細かさという点で単行本と新聞のあいだに雑誌は位置してをる。とくに、彙報欄などについては、情報の宝庫であるわけで。専門誌を数十年分通覧したならば、これはもうその分野の専門家になれるわけである。
たとえば、『植民地時代の古本屋たち』沖田信悦著は、『古書月報』という業界誌を存分に活用することで非常に珍しくもオモシロな主題の本になったわけである。わちきも少しだけ戦時中のもんを拾ったことがあるが、東京古書会館に所蔵するといふセットにはかなうわけもない。
はっきりいって、レアな専門誌と数年格闘したら、オモシロな本が一冊だせるわけである。
内務省納本制度
検閲のためのものではあったけど、明治の初めから納本制度は日本にあった。んで、これが実際のところどーなってをったかを把握せねば、現状も説明できない。
ところが、知的自由の観点から検閲制度やその事例を論じた論文はいろいろあっても、そもそも検閲制度の運用実態を説明するような文献がない。
検閲の運用実態については研究しとる人ってば、浅岡さんなどごくごく限られ取るのではあるまいか。ということで話は最初に戻り、浅岡氏の拾い物がうらやましいわけである。
まぁ、わちきも数年前に港やさんから購入した物体Xも出版史の一次史料なのだけど、戦時出版体制という、本道(検閲納本)とはちがうスジのもんだから。
かつて友人に、納本事務の回想なんてあるの、と聞いたらさっそく古通の書誌をご教示いただき、びっくりしつつ感謝したものであるが、やはりまとまった説明がないと、その先にすすみづらいわけで。
奥付研究も、事例報告(ネットにもある)や断片的な研究はあるのに、それらをまとめるものがない。ん? わちきが書けってか。そうだねぇ。書くとしたら、ハンドブック的なものを書きたいねぇ。時代ごとの典型的奥付図版を掲げ、その個々の要素を解説し、一方で、どの時代なら奥付から何がわかるかという調べものに役立つようなもの。個々の要素のどれが法定で、どれが慣例、出版慣行にすぎないかということとか。
奥付というものは西洋本にはほとんどない(とはいへコロフォンといふ訳語があるから奥付があったこともある)から日本主義的図書館情報学の研究対象になると思ふのだがなぁ。
ん?(・ω・。) さう云へば、森洋介さんやそのお友達さんと浅岡出版学の話をしたような気が… (^-^;)