書物蔵

古本オモシロガリズム

足し本があるのではと

また神保町にいってきまーす(^-^*)
〜〜〜
いってきますたー
結局,会館では3冊300円しか買いませんでしたが……
昨日と同様,オモシロイものが買えました。真性図書館本。やっぱり同じ旧蔵者によるもの。
ひとつは『彷書月刊』の満鉄図書館の特集。1988年のもの。
も,ひとつは(館界じゃ超有名な)TRCの準・正史。やった! この「TRC」は館界の鬼子なのだ。TRC,日外の存在は,国会図書館の外郭団体「春秋会」の消滅という補助線があってはじめて説明できる…

得した気分になったところで,すずらん通りに移動してみると… あれー,なんかお祭りやってるよー。
めずらしいことに,古書店を抜かした地元商店街のお祭りだったのだ。救世軍とか行進してるし。
屋台でおもち(大根下ろしの)とヤキソバを喰う。だから昨日の夜,オバサンたちが三省堂裏の水道んとこで大量に米を研いでいたのか。美味かったす,ごちそーさん。

植民地図書館史の新刊を買う

岩波ブックサービスセンターで,
加藤一夫ほか『日本の植民地図書館』社会評論社2005.5
を買う。めずらしく新刊書を買うなりよ。
で,パラパラと。
んー,相変わらずの論調……

なぜ植民地に図書館を設置したのか。
第一に(現地情報を)政府や軍が使えるように
第二に(現地邦人に)学校教育を補ったり,植民政策を周知させるため
第三に 〜 皇民化政策に役立てるため

そんでもって,敗戦後の図書館界で旧・植民地図書館の連中が活躍したが,「歴史的な連続性とその総括については,ほとんど検証されないまま」という。
総括ねぇ。でも,だれもが三島由紀夫みたいじゃないんだから,たたかれるとわかってるところへノコノコでていくワケもないと思うんだけど。総括って,やっぱサヨク用語のソーカツを思い起こさせるしねぇ。
それに実は上記のような紋切り型の結論にも疑問があるのだ。
むしろ「大陸=フロンティア」に考えられるんではないかと*1
で,話をこの本にもどすと,

植民地図書館への関心や,その図書館と戦後の国内図書館との関係についての問題意識もしだいになくなってきている。

そーかなぁ? しばらく前から植民地図書館はむしろ人気のある領域だと思うんだけど。ポスコロブームでもあったんだし。
特に満鉄関係については,1980年代から研究があったし(岡村敬二『残された蔵書』とか)リプリントも90年代にさかんに出たし。
端的にいって1970年代までの左翼的観点ですねぇ。おなじ左でも,小熊英二みたいに「善意の民族平等→皇民化政策」の逆説みたいな面白さがないと,ちょっと読みづらい。全体が詰問調・非難調だぬう。
そりゃ,外邦に日本人がいること自体が民族主義に反するわけで。
けど,そーゆー観点でいえば,現在ただいまの我々(これを書いた方々も含め)の存在自身が,亜細亜諸民族(とくに今は中国人)からの経済的搾取のうえにしか成り立ってないわけで(でないと100円ショップなんて成り立たないよ)。60年以上まえのご先祖さまを批判するのも結構だけど,現在の我々自身が「無限に恥じ入る」*2ことが先決になってしまいますけど…。
全体の通史をまとめたことは大いに評価するし,大いに勉強させてもらうけど,政治的にイノセントな連中にはちょっとすすめかねる本だなぁ。

*1:「現地人の海んなかに邦人コミュニティができる→文化的になにもない→なんかの拍子に本の置き場ができる→図書館ができる→ほかにないから邦人の文化的ニーズを一手にひきうける」 特に書店・出版社等があまりなかったのが効いたのでは。でないと,まるで米国みたいに図書館が重要視されたという日本文化ではあり得ない事態が説明できないよ。ま,これはわちきの臆断にもとづいた仮説にすぎませんがね。でも,戦前とはいへ政府が上から鼓吹すればできるってもんじゃないでしょうに。

*2:加藤カズオと同じ国会図書館出身の加藤テンヨウの言葉,そのような観点には同意できない,ってことだった。この二人,接点はあったのかなぁ。カズオ氏は整理系,テンヨウ氏は調査系ですね。