書物蔵

古本オモシロガリズム

図書館とテロ:地下鉄サリン10周年

【注意】一般人にはなにがなんだかわかりませんし,司書は読むとお腹(or頭)いたくなるよ。
地下鉄サリン事件10周年。もう10年たつのかぁ…
あの日のことは憶えてるよ。朝,職場へいく途中,町中で救急車が奔りまわってた。なーんかヘンなの,と思いつつ,通常の勤務をし,家に帰ったよ。
協会『図書館雑誌』の最新号に「図書館と反テロ」って記事が。まったくタイミング良すぎ。地下鉄サリン10周年だから。どれどれ…
この「図書館と反テロ」記事の内容は,テロ対策で個人情報をだせ,ってケーサツが言ってくるけど,出さないのが正しい,あと情報の自由なアクセスを制限するな,ってもの。
10周年でこーゆー記事よまされるとは。まあ,予想できたけど。自由委員会は悩みがなくっていいねー。お気楽極楽〜
はぁ。そりゃー「正しい」ですよ。けど,この人,自分だけはテロで死なないって前提でものを言っているようにみえるんだけど。それとも…
自分が,情報の自由なアクセスや,警察の捜査失敗によるテロで死んでも,図書館の自由という主義に殉じて死ぬ,っていう覚悟なのかな。それならイイと思うぞ。ヤミ米をキョヒして死んだ裁判官みたいだ。えらい!
主義に殉じて死ぬ。むむむー,美しい。武士道とは死ぬこととみつけたり,司書道(librarianship)も死ぬことなのかなー? (librarianshipの定訳は図書館学だが,なぜ司書道と訳さぬ!)
まずさ,簡単な事実関係をおさえてみようよ。
彼らはサリンの作り方はどこで知ったの?→国会図書館
そこの利用記録は警察に押収されたけど,それで他の思想犯とか捕まったの?→不明。すくなくともサリン事件の証拠にはなったみたい。
以上です。
そりゃーさ,ケーサツがやたらに令状もなく利用記録をもってちゃうのはマズイけど,なんか自由系の人たちの物言いってのが,ケーサツや国家機構自体が悪って感じにみえるんだよなー
たしかにケーサツはすばらしくイイところだとは全然思わないけれど,まあ必要なんじゃないかと思うよ。問題は,ケーサツの存在自体というよりも,合法的な捜査をきちんとしてくれるかどうか。
自由というのには,カルトが毒ガスの作り方情報に存分にアクセスできる自由もあるわけで。それが理念としてではなく,実態としてあったから,オウムはサリンを作ることができたわけだし,単なる思考実験じゃなく,実際に死者や障害者もたくさんでた。この事実をまえに,自由のおそろしさをそれなりに感じてほしいんだけど,自由委員会。
それでも(つまり,自分及び自分の大切な人々をリスクにさらしても),図書館における市民の知的自由は尊いというのであれば,立派。でも,もう一度いう。自分は霞ヶ関をとおる地下鉄に乗らないから関係ないと思ってないか?
えーわたしは,自分及び自分の大切な人々が実際にサリンにさらされかかったんで,そして結局のところ,毒ガスのノウハウを持ってたのは国家機構の一部たる軍隊だったわけで,なんか反テロ=反自由=イクナイ,って単純な図式にはもう全然,乗れませんねー
あ,日本国には軍隊は存在しなかったんでしたっけ。憲法大臣金森徳次郎に聞いてみないと。