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古本オモシロガリズム

書誌学vs.図書館学

谷沢永一センセの「図書館<学>」たたきを読む(『いずみ通信』no.33(2005.11))。いつものこととはいえ,やっとりますなぁ(^-^)

書誌学が毅然とした独立の学問であることは,『日本古典籍書誌学辞典』〈平成11年〉を一読するだけで納得されよう。(以下,書誌学系の個人全集の列挙)

ははぁ。なるへそ。たしかに同辞典は立派なもの。まぁ「分類」の項目なんかは図書館情報学系の観点からは突っ込みどこですけど(^-^)

こうして書誌学は学問的存在理由を明らかにしてきたが,この書誌学の恰も一派の如く装っているが,本質的には似て非なる宿借りに,図書館学と自称するものがある。

と,センセ特有のがんつけがはじまる…(^-^)

『通信』記事の趣旨

谷沢先生のインネンの趣旨はつぎのようなもの。(あくまで論旨)

1)書誌学は学問! だけど,図書館学は術・ノウハウの集積にすぎんじゃないか(書誌学の学術性の屋根のしたで図書館運営術が学問のフリをしている=ヤドカリ説)。
2)それが今,学問のふりが日本でできるようになったきっかけは,占領軍のお墨付き。
3)戦前に「図書館学」なんて言葉は普及していなかったし。
4)図書館員が図書館学を鼓吹したほんとうの理由は,参考事務ができるようになるから。「颯爽と一人前(いっちょまえ)に学者面できるからである。」
5)図書館員は学者ヅラなどせずに,地道に書誌作成してりゃあよろしい
6)長沢規矩也もそう言っておる

で,戦後の占領軍のお墨付きの文献的証拠として毛利宮彦の『図書館学総説』戦後版と,それにつけられた金森徳次郎の序文が引用されているというわけ。

『雑誌』にのった反論

図書館雑誌に投稿された二川幸広氏の反論は,各論に反論しているだけで,趣旨にたいしてはとりたてて反論していない。曰く,

3)への反論 戦前も用語「図書館学」は一定程度普及していた(だから一定程度の認知をうけていた)。
2)への反論 戦後出版された毛利『総説』の中身は,戦前のもの(だからGHQのお墨付きではない)。
1)への反論?毛利図書館学に書誌学の影響が強いのは,田中敬との交遊によるもの(これは反論ではないか)。
1)への反論 「おそらく田中(敬)・天野(敬太郎)・長沢(規矩也)諸氏は谷沢氏の説に同意しないと思われる。」

ということで,個別の要素には反論しているけど,趣旨には反論になっていないなぁ。

わちきの意見

わちきの意見としては…
1)図書館学は学問か?
→センセのゆうとおり,否(学問が純粋学問のこととすれば) せいぜい応用領域。あるいは諸学の補助学だね。まぁ固有の応用領域ではあるけど。もちろん書誌学も,それ単体で独立した学問か(純粋学問か)といわれれば,否なんだけどね。目くそ鼻くそを嗤う。
2)占領軍のお墨付き
→センセのゆうとおり。戦前,日陰者だった司書or「図書館学」が,まがりなりにも日の目を見たのは米国の占領による諸改革のおかげ。その良し悪しはともかくとして。
3)「図書館学」の戦前の普及度
→これは,ごく一部に,そんなのもある,っていう人もいるよねーという程度だったのでは。実は戦後も今もそうなんだけど…
bibliothekswissenshaftとか,librarianshipとか,library scienceの訳語なんだろうけどね。
ちなみに,この「図書館+学」という言葉は,損だという意見もある(最近では根本センセの「知的貧困」論ね)。わちきもヘンな言葉だなーとは思う。わちきが推奨するのは,「図書館+研究」ね。
4)司書が参考事務で学者ヅラ
→これは,部分的に賛同できないなぁ。もし,図書館員が学者ヅラして困る,ということだけなら,そうですね賛成,としかいいようがないけど。
参考事務は,やったほうがいいと思うよ。もちろん,大学のゼミナール制度(徒弟奉公的に研究のノウハウを上級者が下級者に指南する)が完全に機能するんなら,利用指導もリファレンス業務も不要だと思うけど,そんなこと,大衆化した大学では無理だから。まあ,ここでは谷沢センセの無意識の前提が大学図書館を想定しているようだから,それにのった話をしてしまったけど。公共図書館でも参考事務は強化したほうがいいと思う。
5)司書の本分は書誌作成か?
実はわちき,これ賛成なんだわさ。
いちど,貸出しとリファレンスは前後関係や上下関係はない,っていったけど,書誌とリファレンスは前後関係はあるような気がする。
リファレンスはたんなる「ものしり」や「愛想」でも,しのげることはしのげるんだけど,それって図書館員特有の強みじゃないよね。
もちろん,参考係員が日常業務で書誌をつくれと言っているわけでは必ずしもないが,書誌的なものがわからなければ,リファレンスに支障をきたすだろうと。あるいは逆に,カオスのごときネット世界を切り出してくるときの概念枠組みに(無意識的にもせよ)図書のデータ(書誌)のフィールドというか,ファセット的なものを念頭におくことで,意味のある検索集合を作れるのではないかと。
もちろん,主題書誌をつくってきたのは,整理部門じゃなくて参考部門だったという伝統もふまえて,そう言っているのぢゃ。
わちきがみるに,谷沢センセの趣旨はよろしいが,証拠がわるい。ってか毛利宮彦はニカワ氏が(褒めるつもりで言ったように)古くって戦後図書館学の代表として出してくるのはペケ。
ほんものの戦後図書館学本をだしてくれば,センセの論はなりたつ。
まー,リファレンス論については別件として論争してほしいが。
図書館学は(書誌学と同様)あくまで補助学なのぢゃ。