書物蔵

古本オモシロガリズム

小新聞には1社に1、2人「必ず」いた「悪徳記者」

日本新聞学の開祖、小野秀雄。その代表作「日本新聞発達史」はいまだ、日本新聞史の定説として扱われているのではないか、という話をMさんに聞いて、それは拾わねばと思っていたので、数年前拾ったら、無くしてしまった。この前高円寺で安値(アカシヤさんで300円)だったので再度拾ってみた(´・ω・)ノ

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971421
ずいぶんとバランスのよい通史だなぁと読みすすむと、ちゃんと恐喝新聞についても書いてある。

悪徳記者の横行は決して近代〔近年〕の産物ではない、明治廿年以前の大新聞には其種の不徳記者を見なかったが、小新聞に至つては必ず一二名の悪徳記者が居つた、しかのみならず社長夫自身恐喝を敢てしたものすらあった、大新聞が小新聞を加味するに至つて悪徳記者は其軟派〔大新聞の軟面担当記者〕に潜入した、だいちゅうの新聞社から此種の罪人を出したことは決して少なくない、然るに経済界は新聞記事の如何によつて動揺する場合多き為め我が国経済界の発達と共に其方面を担当する硬派の記者にして不徳行為を敢てするもの亦少からざる状態となった
(p.502)

悪徳記者は前からあったよ、大新聞にはいなかったけど逆に小新聞には「必ず」1社1、2名いたよ、という。これはスゴイ(@_@;)
悪徳記者が社主である場合、その媒体(小新聞)自体が、取り屋新聞、というわけだねぇ(゜~゜ )
明治20年以降、大新聞が小新聞的になるに従って、社会担当記者にも悪徳記者が発生し、経済担当記者が発生してからは、それにも悪徳化するものがあった、という証言。
大正10年末、福島県で「記事黙殺防止の県令」を発令したともある。

他人に頼まれ財物を受け記事掲載を中止し或は掲載を差控へたる者は卅日以内の拘留に処す