書物蔵

古本オモシロガリズム

ツイッターに書かうかと思ったが、こっちへ

こんなとこに書くもんぢゃないが、ある種の反社会勢力に対する「期待」みたいなものが自分の中にあるな。特に12年まへに自分にふりかかった災厄がらみで。

わちきが期待するのはスキャンダリズムの体現者としての、悪徳新聞ないしユスリ雑誌。
大正時代からお上品になった新聞記者方もそれ以前は「羽織ゴロ(ツキ)」と言はれてゐて、実はスキャンダリズムはマンマ、公共的言語空間といふか、物事の良し悪しを公的に議論する場とつながってゐたことが判りやすかった。

おほ昔だと、じつは組合の機関誌やビラが、さういった問題管理職をあぶりだす機能があったのぢゃったが、そんな機能なくなって久しいし。

日本の場合、讒謗律が出来たり、名誉棄損罪が事実であっても成立しちゃったり、事実から物事の是非や良し悪しを論じるといふ言語空間ができづらい構造にあると思ふ。けれど。

趣味の出版史をやってたら、森サンの示唆で、実は「業界紙」≒悪徳新聞だと気付き。
業界紙の歴史しらべと悪徳新聞の歴史は渾然一体だとも気づいたよ。