書物蔵

古本オモシロガリズム

国民レファレンス局廃止(2011年)に見るレファレンス概念史(2021.9.26訂正✗2009→○2011)

書物蔵:古本オモシロガリズムさんが徳島大学附属図書館(Tokushima University Library)をリツイートしました
日本人、オモシロい。ってか、100年以上、同じことを言っている。 ライブラリはウェアハウスぢゃ、ないんだよ、と。 でも結局、ただの書庫になってっちゃふんだよなぁ… ここにオモシロい事例がある
書物蔵:古本オモシロガリズムさんが追加

徳島大学附属図書館(Tokushima University Library) @TokushimaU_lib
図書館をただの倉庫にしない!古地図をデジタルデータ化して、資料の「保存」「一般への公開」という図書館の役割を果たしたい。 - 大学クラウドファンディングサイト Otsucle[おつくる] https://otsucle.jp/cf/project/1825.html …

米国相手に戦争して、主要都市全部まる焼け。 植民地も全部放棄後の日本で、米軍がちとオモシロなことを日本に指示したんよ 「あんたらの国にもライブリを作りんしゃい 国会に付属のライブリがあれば、国策を間違ふこともなからう」 と
「ん?(・ω・。) ライブリ? あゝ図書館のことかぁ」とて、昭和22年に「国会図書館法」てふもんをつくったんぢゃが、 「ほんとにこんなんでいいのかなぁ??? 図書館たって、図書の【保存】をするとこでせぅ。なんで図書館で国策が間違はないのか、わからなーい」 ってなことになったんで、
困ったときの外圧だのみ、米国から使節を呼ぶべぇ、とて、二人の立派な図書館人を呼んで、国策を誤たないためのライブリとかやいふもんの仕事内容を決めてもらふたのぢゃった。 ところがその覚書に日本人によくわからないことがいくつか書かれてゐた。
その筆頭が「レファレンス」なる言葉。 数百人規模のライブリで、筆頭局2つもあてがって、国民向けレファレンス奉仕と議員向けレファレンス奉仕をやれ、と覚書に書いてある。 当時、議員先生たちが国会で、この言葉、わからんなぁ。日本語に訳せない~ といふこで、「考査」なんちゅう、ヘンテコ誤訳をしたんぢゃったが、要するにこれは本の使い方(読み方)の一種で。 必要から発する随時読み、ちょっと読みのこと。日本語にもちゃんと言葉はあって「参照すること」 で、必要に応じた参照読み(レファレンス)をするには、いまでいふサーチ・エンジンが必要。
本を、必要から発したちょっと読み(レファレンス)で使ふために、当時の紙技術のサーチ・エンジンは、紙カードや紙ファイルと、議員向け100人、国民向け100人のヒューマンから構成されてゐたのぢゃった。 本を使ふための数百人規模の部局を持つ図書館なんて、それまでの日本にはなかったんよ。
オモシロいのは、昭和22年につくった国会図書館法には、「保存」の言葉があるのに、昭和23年につくられた「国立」国会図書館法には、なんと、「保存」の言葉がないのよ。 つまり米人覚書の発想だと、国策のライブリは、まづはレファレンスをするとこであって、保存をするところぢゃあ、なかったんだわ
でも、やっぱり、基本的コンセプトが、結局は日本人にはわからなかったんだなぁ ・本の集積は、通読でなく、必要に応じたちょっと読み(レファレンス)で、国策(社会的ニーズ)に役立つこと ・本の集積は、使ってナンボで、保存は二の次 がわからなかった
2009年に国会のライブリで、結局、国民レファレンス局(固有名としては「主題情報部といった)が廃止になったんは、結局、日本人が、参照読みの重要性を理解できなかったことを象徴してゐるんよ。 ネットに例へると「検索エンジンは不要。URLの直打ちでホムペを読めばいいよ」と言ってるやうなもん
ん?(・ω・。)  「議員レファレンス局は残ってるぢゃんか」ってか(゜~゜) でもあそこ、レファレンスといふコンセプトはひたすら希薄なんだよね。 一つにはやってる人たちが、自分たちの部局名の成り立ちをぜんぜん知らない。意識してない。
リサーチ&レジスレイチブレファレンス局ってな名前なんだが、リサーチが曲者(σ・∀・) ってか誤解を生んでるんだよなぁ 実は結局やってんのは文献リサーチ。 現実から直接、統計をとったり、聞き取りをしたりは全然してないに等しいんだ。あくまで文献調査なんだよね。 文献調査とちょっと読み局
文献(ネット情報でもよい)の生成過程とか、ちょっと読みのカラクリつくりとか、文献提供時の工夫に意を用ゐるのが本来の仕事なんだらうけれど、どうも(目的語なしの)リサーチなる言葉にミスリードされて、自分がライブラリアンでなく何かの専門家だと自尊しはじめちゃふと命取りなんだよなぁ…
いっぽうで国民レファレンス局が廃止(2009)されると、国民向け奉仕は、稀本的に本を使わせない方向になる。 もちろん奉仕者の自意識としては「保存を優先しています(`・ω・´)キリッ」ってなことになるけどね┐( ̄ヘ ̄)┌ でも最初に書いたでせう、昭和22年法にあった「保存」が23年法には無い。
その意味が、結局、中の人たちにもわからんかったんだねぇ… 昭和22年、二人の米人がやってきて、国策ライブリは、ああせい、こうせいとメモランダ(当時、米人のメモランダは日本人にとっちゃあ至上命令)を遺してくれたんで、70年やってみて、結局、ライブリの基本コンセプトは受容できなかったんだ
追加で解説(´・ω・)ノ 「図書館」なる言葉も「どうやら文明国では町にライブラリとかビブリオテークなる機関があって、それは日本の「文庫」ふみくら、とは違うものらすぃー」といふことで作られた新語「書籍館」が明治20年代に置き換わったもの
文庫(ふみの蔵、倉庫)とちがふもの、とて、図書館なる新語ができたのに、結局、文の蔵としての運用しか大日本帝国ではできなかったんだわさ(´・ω・)ノ んで、夜郎自大で国が破綻
米人はなにかお人好しのところがあるのか、70年まへ 「あんたらの国を民主化するんなら、国策ライブラリを議会に新設したら、やり方はこれこれ」 と教へてくれた、といふ次第。 やり方のコアが「レファレンス」てふサービスぢゃったが、これが結局、中の人にもよーわからんかったといふ次第。