書物蔵

古本オモシロガリズム

書店での立ち読みはいつから?

100円で森さんに拾ふてもらふた中に、こんなんがあった(´・ω・)ノ

どうやら河原, 淳, 1929-2006 || カワハラ, ジュン, - は、「いずれ「宮武外骨伝を執筆するつもりで、資料をあれこれ集め」ていたらしい。
なかで出版販売史がらみのことが。

明治三十年代ごろまでは、雑誌を立ち読みしていると、店の者が「アナタ其雑誌をお買ひになるのですか」と詰責したとかであります。その後、ハタキでパタパタやったりする撃退法も初栄されましたが、ずばりいうよりも陰気な気がします。立ち読みは社会堕落の一現象だと、外骨翁は喝破しました。「販売を目的として陳列して居る雑誌を、商家の店頭で立読して、一厘の報酬もせず、一言の礼も云はずに立去るとは何たる不埒者ぞと云ひたい」のだそうです。(p.20)

おそらく河原さん――ん?(・ω・。) なぜかさんがつけたくなってしまふのぅ(^-^;)――は手許に外骨の資料をみてひきうつしてゐるのぅ。何だろう?
ああ、さうか『スコブル』ですな。

その〔立ち読みの〕対策法として『スコブル』は製本に改良を加えて、下の方を裁断しないことにしました。いまどき婦人雑誌などでsex関係ページを裁たないで、かえって気をそそったりしますが、外骨はそのパイオニアと申せましょう。(p.20)

スコブルは大正5年、6年のもの。

  • スコブル 奇拔雜誌社 1916.10-1919.2

わりと近い回顧か。
同じ号の中ほど(p.45前)の広告に、思想の科学社で、好評既刊として佃実夫文献探索学入門が載っていた。