書物蔵

古本オモシロガリズム

自評のこと

森さんに、自分の著書を自分で書評することをどう呼ぶか、と聞いたところ、ジヒョー(50冊の本)、ジカジチュー(短歌の世界とか)といった返事だったのだが、これについては明治も半ばに論争が起きていたとはびっくりなり。ってか、文学史やっとる人なら知ってんのか(・∀・`;) 断片を読むと、誰ぞの専門な匿名批評論に、途中でなっている。

  • 太夫「荊鞭」『國會』(1891.9.3.) 三昧同人(宮崎三昧?)の自評を批判したもの。正太夫は匿名らしい。
  • 鴎外「?」『志がらみ草子』10.25 三昧同人を弁護したらしい。
  • 漣山人(巌谷小波)「自著自評に就て」『國會』(〓) p.〓(1891.11.11〜12) 自評は匿名でなく記名ならよいと論評。
  • 太夫「鴎外漁史の辯護説附自著自評の事」『國會』(1891.11.21〜12.13) 鴎外と巌谷に反撃
  • 漣山人「再び自著自評に就て」『讀賣新聞』(〓) p.1(1891.12.28別刷) どうもこれを
  • 向井東海「自著自評は不可なり(寄書)」『讀賣新聞』(〓) p.2(1891.12.28別刷) 自評は不要との主張-柵山人「〓」『青年文学』(1892.〓) 未見
  • 鴎外「柵山人が自評説」『志がらみ草紙』(29) p.〓(1892.2) 柵山人への反論。柵が属人的にしか考えず自評はダメとするのを、鴎外は属事的にというか、作品単位で良ければ自評、自賛も可とする。

柵山人(しがらみさんじん)=堀本貞一=堀本柵=楓仙人⇒最後は不明

ひょっこり出てきたシガラミ山人について、チト調べたらオモシロいことがわかった。
この人、泥棒小説家として宮武外骨が戦前、再評価してた人物だったのだ(σ^〜^)
上記の自評論争の直後、柵山人こと堀本貞一は窃盗で捕まったと報道あり(読売新聞1892.12.24朝)。小説家が泥棒とは面白いとて宮武外骨は全集を編んだ。が編んだ当時、61歳だろうという柵山人は当時行方不明だったとか。外骨は新聞記事をさがすが情報がなく、オサダケタケキに頼んで古い裁判記録を入手。窃盗はほんとうらしく1年の禁固になっていた。そのときの検事が仲小路廉(仲小路彰の父)だったのはご愛嬌という。
ところで柵山人が刑期を終えたあと、著作にまた舞い戻っているのは外骨も気づかなかったようだ。ペンネームは「堀本柵」と変え、さらに途中から「楓仙子」と変え、明治30年まで何冊か探偵小説、軍事小説を書いている。外骨は柵山人を泥棒に才能があると言っているので、自分の窃盗実践や捕縛経験を活かしたのであらう(・∀・)
外骨のおかげで知る人ぞ知る人になったシガラミ山人については、山下武が「古通」(959)(2009.6)に書いている。松本克平も「彷書月刊 」82(1992.7)に書いているが、はたしてそれらにはクライムノベルの件は出ているだろうか。
いまググると、なんとまあ中野書店さんが、堀本柵までの情報をたしていた(×o×)
http://nakano.jimbou.net/catalog/geta_themes.php/gtID/153
いま調べると、最後は明治35年に児童書を出しているねぇ。

  • 楓仙子著『(軍事小説)敷島男子』求光閣書店、1902.1.26、259p、図版7p ; 15×11cm

参考文献

漣 私の今昔物語 昭和3 127 柵山人の後身
鶴見欣次郎