書物蔵

古本オモシロガリズム

西沢, 爽, 1919-2000 || ニシザワ, ソウ

森サンに、西沢, 爽, 1919-2000 || ニシザワ, ソウが面白いよとて、池袋三省堂古書展で100円で拾ってもらふたこの本。

雑学 艶歌の女たち (文春文庫)

雑学 艶歌の女たち (文春文庫)

なかなかに面白し。森さんの話では、西沢ソウは、稀代の古本コレクターだとか。実際、「あとがき」に自分はどうも図書館をすかんのでどうしても必要な古書を古書通信の探究書でもとめた、なんてことも書いてある。
それだけでなく古本マニアにオモシロなのは、解説。紀田順一郎さんによるもの。
紀田さんは、西沢こそ現代の考証随筆家であるとしたうへでかう述べる。

ここで西沢流というのは、つぎのような特徴をいう。
1)正統的な資料から雑資料にいたるまでを同じ比重で参照している。
2)唄や映画などを考証の枕とsるうなど、非常に効果的に援用されている。
3)花街など風俗界とその機微に通暁している。
4)女性心理の微細なひだに分けいる。
5)細部の真実を重視する。
6)自伝的、体験的要素が濃い。
7)苦労した人らしく、ローアングルの視点から社会を見ている。
8)物価や人口など数字的要素を重視する。
9)出典をすべて公開している。

ここでわちきなりに事項を解釈すると。
1)正統的な資料から雑資料にいたるまでを同じ比重で参照している。
ちょっとまへ、「それは公文書に書いてない」などといふフレーズや、過度に「一次史料」という用語をふりまはす本を見て、史料論も気になってをるんぢゃが、個々の史料の確からしさは、何を立証したいかで変わってくるとゆーのがまづハ基本であって、これが主客転倒して、公文書だから正しいといった間違った権威主義に陥ってしまふては、歴史もへったくれもないことになる。特に、市井の、一国の歴史に無関係な刃傷沙汰などを西沢はおっかけてんで、あらゆる雑史料を駆使する西沢のスタンスは、まさしく立証対象、記述対象にフィットしてゐるわけである。紀田先生もむかし下層社会ものを書いたことがあるから、これは身に染みてわかっとるワケ(´・ω・)ノ
2)唄や映画などを考証の枕とするなど、非常に効果的に援用されている。
時間芸術を枕にすると、時代を象徴できるというわけかしら。
3)花街など風俗界とその機微に通暁している。
まあこれは西沢の興味がなせるところ。
4)女性心理の微細なひだに分けいる。
紀田先生はご自身でこの分野は苦手と思ふてをるのでは…。また、わちきが好きな古本屋探偵モノでサブキャラ、里奈ちゃんが、ちょっと、あまりに類型的で、あれはなくてもよかったのではないかと思ふところであるが…(^-^;)
5)細部の真実を重視する。
真実とふか、事実ね。被伝者が士族だったかどうかとか。時代性の反映されとる細部ということころ。
6)自伝的、体験的要素が濃い。
7)苦労した人らしく、ローアングルの視点から社会を見ている。
8)物価や人口など数字的要素を重視する。
9)出典をすべて公開している。