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古本オモシロガリズム

保坂正康「戦場体験者の記憶と記録」『ちくま』がオモシロ恐ろしい…(((( ;゚д゚)))

ルポ作家の保阪正康が『ちくま』2013年9月から連載しとる「戦場体験者の記憶と記録」が恐ろしい。これは帝国陸海軍の個々の兵士たちの戦時体験やら戦後の戦友会やらの話なわけぢゃが。
10月号は絶望的戦局でアタマがおかしくなっちゃふ指揮官たちの事例。それを軍医というわりと当時の状況下では客観的な立場をもてた連中の視点から書いている。
いまウィキペを見るに保阪正康氏の記述について「しかし当事者の証言に偏重する研究姿勢には、実証的立場からの批判も多い。」という批判もあるとか。しかし、ウィキペはつづけて「小林よしのりは、「戦争の原因を自国の中でのみ探り(云々)」などと、必ずしも「実証的」でない(まあ大局的なといはんか)観点からの批判が並んでいてヘンではあるが(フツーのウィキペのヘンさではあらう)、まあ保坂氏がヒアリングを重んじる書き方をするということなのだろう。
で。
軍隊内のいじめとか戦場における戦争犯罪行為、あるいは戦後の戦友会内でそれらがどのように語られたのか、といった事柄については、正式の戦史や部隊史には書かれづらい(というか書けない)から、そういったことにつきヒアリングを用いるというのはむしろ妥当と思われる。
しかし、このアタマがおかしくなっちゃふ上司といふのは、じつは一定の割合でいる。それが戦時という時代や負け戦という戦局で顕在化するだけである。だから米軍でも八路軍でも民国軍でも発生したことはしただらう。もちろん近代的軍隊では、従軍司祭や軍医がそれらを予防したり駆除したりするのだけれど、帝国陸海軍のバヤイ、その機能がものすごく弱かった。
つまり環境や組織運営の構造によって健在化しやすかったりしにくかったりするわけ。別に帝国軍人が一般日本社会人より特にヘンテコなわけでは必ずしもなかった(と思いたい)。
だから現在の会社などの組織でも、一定の条件がそろうと、一見、マトモそうな管理職がキチガイ状態になっちゃふこともある。
もちろん、きちんとした選抜システムが機能して、さういった属性の人物が排除されたり、あるいは年功序列潜在的神経病質が一定程度いても、(強い)職員組合やら、(機能する)セクハラ・パワハラ委員やら、学閥、飲み仲間、廊下トンビなど「組織内世論」が作られるネットワーク、定型的で新しいことを何もしないでよい業務構造やらで、それが顕在化しないような安全装置がついていれば、さやうな人々も馬脚を顕さず「(せいぜい、どーでも)いい人」で停年を迎えることができた。
逆にいへば、さういった安全装置が外れていくと、管理者に一定程度まぎれ混んでいるさういった因子が発現しちゃふ。
たとへば、話し合いをほとんどほうっておいたのに、まとめる土壇場になって上司の意向とズレルことがわかり、くるったやうに怒り出したりする御仁がいれば、そういった人物である可能性が大( -Д-)ノ
ご用心ご用心(σ^〜^)