書物蔵

古本オモシロガリズム

「出版年鑑や雑誌年鑑などは、少なくとも戦時出版に関するかぎりなんの役にも立たない」

払い出しをすべく、本を捨てるなり〜
ぱらりと見たら、いいこと書いてあるぢゃん(σ・∀・)σ

さて、単行本にくらべると、私の雑誌蒐集は僅々その半分ほどの時間しかエイ化していない。だが冊数の方は三倍以上の五千冊を超えている。むろん、すべてが戦時下発行のものだが、こちらの方は蒐集の範囲が文芸雑誌に限定されず、総合雑誌をはじめ、p.118

間の抜けた言い方で恐縮だが、つまり、雑誌とは定価がついて市販されるものだけが雑誌ではないのである。出版年鑑や雑誌年鑑などは、少なくとも戦時出版に関するかぎりなんの役にも立たないと言ったらお叱りを受けるだろうか。p.120

いやー、するどいねぇ。
すでに1980年前後に一部の古書蒐集家(とはいへ、研究のためなのだけれどね)は、雑誌の広大さについて気づいていたわけだぁね。
もちろん、「なんの役にも」といふのは言ひ過ぎで、それでもなお、雑誌年鑑から始めねばならんのだけれども(´∀` )
国会図書館で、実は全然――本来の検閲納本で悉皆届出されてた――雑誌が残ってないといふことが職員によって再発見されたのが1989年だっけ(σ・∀・)σ
だんだん古本熱がさめつつあるわちきがいふのもなんだけど、古書展は何度か通って、買はずとも、その紙資料の多様性を見ておかないと、研究者としては幅の狭い、既存の演目のくりかへししかできない三流になっちまふことうけあいぢゃ(σ^〜^)
ん?(・ω・。)
わちきは研究者では(ヾノ・∀・`)ナイナイ
一介の古本者ぢゃ(〃⌒∇⌒)ゞえへへっ♪