書物蔵

古本オモシロガリズム

蔵書一代。ゆえにどうするか。。。

紀田先生がHPで、自分の個人蔵書のうち、とくに普通の本について、こんなことを書いている。

それ自体に客観的価値のある、定番の資料ものや初版本、コレクター向きの本、すなわち流用の可能な、つぶしの利く“記号としての本”は別として、個人蔵書は何らかの工夫により客観的な性質を賦与しない限り、つまり一般向けの「意味のあるまとまり」としない限り、「ただの古本」でしか扱われない

それで、
古本屋探偵(のモデル)の蔵書ポリシーを、数年前、来朝した折に聞いたことを思い出したとか。

それで思い出すのは島崎博翁(三島由紀夫の研究家)のことで、いまや台湾にあっていよいよ精力的に蔵書構築に励んでいると聞くが、数年前に一時里帰りしたさい、パーティーの席上、「紀田さん、あんたは蔵書の処分なんてこと言ってるけど、おれは死ぬまで持ってるという方針を、いまだ疑ったことはないよ」とニヤリとされたことがある。

http://plus.harenet.ne.jp/~kida/topcontents/news/2013/041801/index.html
どういふ「文脈」で、本(ノートなども含む)が並んでいるのかが重要。