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図書館政治ネタ:武雄市立TSUTAYA図書館

わちきのブログ、ちとリアル図書館系の人も覗いているみたいなので、ネットでここ2,3日話題のネタをメモがわりに。
一例としてつぎのエントリをあげるけど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/hiwa1118.exblog.jp/15827483/
要するに、いまの武雄市佐賀県)の市長、樋渡啓祐(ひわたしけいすけ)氏がTSUTAYAに市立図書館を運営してもらう、ついては利用情報も有効活用してもらうと発表したのに対して、ネットの、主にツイッターにいる人々が反発しているという図式。

ほんたうの論点→宣言と法令の関係

まあ論点としてはいろいろあって、たとえば貸出記録はどのような渡し方なら個人情報にならないかとか、市長の発表時の表現方法とかあるんだけど、実はイチバン問題なのは、どうやらこの市長は「図書館の自由宣言」の法的根拠のアイマイさ(というか、無さ)に気づいてをるところ。
わちきはいちおー、知的自由は社会の運営上とっても重要という価値観を持ってをるゆえに、逆にはっきり言うてをくが、図書館業界人や自由委員会の知的怠惰が招いた事態だと思う。

「図書館の自由」批判 →JLA自由委員がヘンなことを言って、それが通ってしまうバカバカしさについて
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060215/p3

知的自由については社会の安全装置*1として非常に重要と思うので、しつこく言わせてもらいますよ。

1年前のトーク・セッションについて →指定管理の千代田図書館が自由宣言の法的・政治的スジを通した件
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20090207/p2

今回の事例と、法的構成としては同じ図式の千代田の指定管理。これが業界的には――つまり宣言の趣旨と法令・政治を両立させるという点で――重要。もちろん事業としては真逆で、つまり指定管理にしてさらに予算を増やし、貸出中心を放棄したという点が、き・わ・め・て、重要なんだけど、等しなみに指定管理=悪とする業界誌はぜんぜん取り上げず、ほんと、バカだったよ(。・_・。)ノ

貸出中心経営が遠因

副次的には、公共図書館サービスを貸出中心に構築してきちゃった1970年代以降の図書館運動家にも責任があるけどね。そりゃ、貸本屋サービスを中心にすりゃあ、ほんとの貸本屋さんのほーが、3,4倍、上手だわいね。だから、無料貸本屋たる貸出中心図書館ならツタヤに受け持ってもらうがよろしかろ。
もちろん、郷土資料とか読書指導とか文献調査とか相互協力とかは皆、上手くいかなくなるだろーけど、人民の多数はそんなものは実際には使わない*2
ん?(・ω・。) さうか、公共図書館は皆、廃止すればいいのか。さうして、昭和30年代のごとく、町内に1つ、貸本屋(ツタヤ)や古本屋(ブックオフ)があればいいのか(σ^〜^)
って、結局、そーなっちゃうんだよねぇ、貸出中心主義でやると(・∀・`;)

この市長さんの問題というより

まあこの件はこの市長さんの、あえて物議をかもす手法がよりネットに波紋を呼んでいるけれど、長期的には1970年代以降の図書館運動が破綻したことを明示するものだとおもう(´・ω・)ノ

*1:知的自由があれば間違わない、とゆーのではなくて、間違ったときに直せる。これ重要。

*2:実際に使う/使わないと、あってもいいと思う/思わないは別だよ。例えば、社会人は今、小中学校に通うことはないけど、あってもいいと思う人が多数。もちろん、米国では不況の1970年代、学校を廃止統合することが流行ったけど。