書物蔵

古本オモシロガリズム

三四郎の帝国大学附属図書館


書物蔵:古本オモシロガリズム
‏ @shomotsubugyo
2 時間2 時間前

三四郎は、
「そうして図書館にはいった。広く、長く、天井が高く、左右に窓のたくさんある建物であった。書庫は入口しか見えない。こっちの正面からのぞくと奥には、書物がいくらでも備えつけてあるように思われる。」
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書物蔵:古本オモシロガリズム
‏ @shomotsubugyo
2 時間2 時間前

「立って見ていると、書庫の中から、厚い本を一、三冊かかえて、出口へ来て左へ折れて行く者がある。職員閲覧室へ行く人である。なかには必要の本を書棚からとりおろして、胸いっばいにひろげて、立ちながら調べている人もある。三四郎はうらやましくなった。」
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書物蔵:古本オモシロガリズム
‏ @shomotsubugyo
2 時間2 時間前

東京帝国大学では、学部生は入庫権限がないのだった。
教職員は入庫できた。

もともと書庫には閲覧施設はなく、書庫内に利用者を入れることを英語 safeguarded shelves にあわせて「安全開架」と呼んでいた。
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書物蔵:古本オモシロガリズム
‏ @shomotsubugyo
1 時間1 時間前

明治初めから明治20年ごろまで、一般の人が使える図書館は、「書籍館」改め東京図書館(のち帝国図書館)しかなかった。

だから漢学塾などに寄寓する「遊学生」たちは新式貸本屋を利用したのだが。

そんななか東京図書館に匹敵、凌駕する帝大附属図書館で閲覧ができること自体、大きな特権だった。
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king-biscuit
‏ @kingbiscuitSIU
1 時間1 時間前

「書生」が一気に増え始める最初の頃あたりまで、ってことですかね。その頃は一般的にはまだ「音読」中心だったとされていたはずですが、そのへん含めていろいろ興味深いです。
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書物蔵:古本オモシロガリズム
‏ @shomotsubugyo
1 時間1 時間前

そうですね。

音読から黙読への日本における移行については、永嶺重敏さんがやったのですが、その後をうまく拡張、発展させる人がいない気がします。

最近、明治から大正の読書史と貸本屋、図書館の関係をお勉強したので、ちゃんとやるとオモシロそうだなぁと気づきました。
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king-biscuit
‏ @kingbiscuitSIU
59 分59 分前

路上の「読売」やそれこそ演歌その他の芸能などまで視野に入れての情報環境とメディア、上演から聴き手読み手のあり方までひっくるめて、という壮大な構図だけは勝手に何となく想定できるんですが、じゃあどこからどうするというのはもう手に負えんので投げときますヽ(゚∀゚)ノ
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書物蔵:古本オモシロガリズム
‏ @shomotsubugyo
50 分50 分前

読売新聞の、「読売」ですよねぇ…

>構図だけは
そうなんですよね

音読文化と、本・新聞は、明治期シームレスにつながっていたと思います。

大正期に売春あっせん所になっていく新聞縦覧所も、民権の連中がやってた時代には、そこで演説、音読、討論があったらしいのです。
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‏ @shomotsubugyo
返信先: @shomotsubugyoさん、@kingbiscuitSIUさん

「流行歌の読売り」大正5年(´・ω・)ノ

歌をうたって人集め、サクラを用いて歌本を買わせる(*´ω`*)

・東京生活 : 致富成功 / 大森春圃 著. 西村出版部, 大正5 <特103-346>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/908329/50?viewMode=
11:23 - 2018年3月10日

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king-biscuit

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