書物蔵

古本オモシロガリズム

「春秋会事件+国会図書館」だけではツマラナイ(*´д`)ノ

ここ二、三チ、「春秋会事件+国会図書館」で検索をかけてくるヤカラがおるが、なにかあったか? ってか、たしかに噂では事務総長天下り(天上がり?)でない館長、理事会との疎遠、内部管理の弱さ、副館長の不在と、春秋会事件前夜とまったく同じ図式・構造になっているように聞いてをるが、まぁ、構造だけでハ事件は起きんヨ(σ^〜^) あとは具体的不祥事と、内部告発が必要ぢゃが、そんなことやるよーなヤツ(主体)、いるのか*1
さて、事件というのは一般に、新聞記事や国会会議録にあらはれるやうな、ハデで表面的な出来事だけでなく、上記のやうな背景があるわけだ。それらを読んだだけでハ、背景や構造の理解などは及びもつかんし(実際、事件にまきこまれた彼等――おかげで死ぬような目にあった、って実際、これで死んだ金森徳次郎自身さへ――は何がなんだかわからんうちにまきこまれてったのだし、ぢゃあ、まきおこした主体だって、自分の描いた画とまるでちがう結果になりーので、やっぱり全体構造などわからんままだったのだろうし。
だけど図書館史上の問題不幸は、彼等の個人的不幸にあるのではない(もちろん、個人としては同情するし、われらが愛書家・稲テッチャンですらその余波があったといふ)。この事件の意図せざる結果が、その後の日本図書館界の発展を阻害しつづけたのだったが。
まづハ2004年の鈴木論文*2を参照すべきだろうが、この論文とて主たる主題は金森徳次郎であるので、春秋会およびその事件はワキ筋にすぎん。春秋会の本来の機能、事件でツブれたことによる結果については、別して論議する必要があらうテ。
先週土曜、ゴシップ史につきて、

個々のゴシップがだたそれだけ記述(認識)されるだけでは、まったくツマラナく、役にもたたん。背景や、複数の主体など構造のなかに位置づけられてこそ、とりあげる意義もあり、オモシロくもある。

といふ話を、森さんと一緒にしたことであった。つまり、ただ、事件だ事件だとさわぐだけでは、ツマラナイしバカらしいといふことだ。

20140709

またどぞこからaccessがあったので見直したら、ちょっと表現を直した。「問題」→「不幸」。このほうが、対比的にわかりやすいね。個人の不幸と、組織、業界、社会の不幸はかならずしも連動せん、ってこと。
ただこの事件のバヤイ、金森個人の不幸と組織や図書館業界の不幸はイッチしちったんだけど(=゚ω゚=)
従来この事件はただの疑獄事件としてだけ封印されてきたが、ぜんぜんちがふ。

*1:LCにはいたようである。cf. http://current.ndl.go.jp/ca1052

*2:鈴木宏宗「国立国会図書館長としての金森徳次郎」『図書館文化史研究』(21)(2004)cf. http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/8704/10435/1555074