書物蔵

古本オモシロガリズム

無念! 大東亜ト学成らず!!!

わちきが秘かに「大東亜図書館学」を復活させやうと暗躍してをることは、ここだけのヒミツぢゃ(σ^〜^)
最近、図書館史トリビアの発掘にますます磨きがかかっとる我が畏友、神保町のオタどんが昨年四月、かやうなるエントリをあげていたのを憶えておらるるむきもあらう。

http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20100405/p1
■[スメラ学塾][図書館]間宮不二雄と高嶋辰彦の国防研究室
わしの大東亜トンデモ学と誰ぞの大東亜図書館学。両者をつなぐ接点に間宮不二雄なる人がいた。
前田哲人編『間宮不二雄の印象』所収の高島辰彦「間宮さんの思出」によると、

間宮さんとの交友は昭和十三年、四年頃、私が参謀本部の課長で総力国防研究のため研究分室の室長を兼ねていた時に始まりました。(略)私は新しい私の任務のための師としての達人を捜し求めて居りましたとき、偶然間宮さんの御来訪を受け、図書館学のキーポイントについてすばらしい御創見を承はり百年の知己を得た思いが致しました。(略)

オタどんは、「国防研究室には小島威彦、仲小路彰藤澤親雄らが出入りしていたはずである。そこに間宮も出入りしていたとは。」と驚いておったが。
高嶋, 辰彦 (1897-1978)‖タカシマ,タツヒコ の当時の動向については、次の情報がネットにある。

http://www24049u.sakura.ne.jp/db/%E9%AB%98%E5%B6%8B%E8%BE%B0%E5%BD%A6
昭和11年6月19日 参謀本部部員
昭和11年10月 欧米出張(〜昭和12年2月)
昭和12年8月2日 陸軍歩兵中佐・参謀本部作戦課戦争指導班長陸軍省軍務局附
昭和12年11月20日大本営参謀(戦争指導班長
昭和13年7月21日 参謀本部第4部第11課附
昭和13年8月 兼陸軍省兵務局附
昭和14年3月9日 陸軍大佐・参謀本部戦史課長兼戦略戦術課長
昭和14年5月 皇戦会常務理事
昭和15年5月9日 兼陸軍大学校教官
昭和15年12月15日 台湾歩兵第1聯隊長

ところが、このまえ拾った『図書館文化史研究』(28)に、よねい、という人の(ん? 米井先生とくりそつな名前)「〈随想〉帰ってきた楠田五郎太」なるエッセイがあってそこにこんな記述が出てきた。

1938(昭和13)年6月5日、大阪の青聯本部は「突如某方面ヨリ〓界ノ情況並ニ〓ト国民教育トノ聯関にツイテ照会オ受ケタ」(〓はくにがまえに書)

という。
にゃにゃにゃにゃ、にゃんと(*ω*;)´´
我らが間宮は、総力戦研究のため、トンデモ皇戦会のために新図書館体勢を作るべく、
小野, 則秋 (1906-)‖オノ,ノリアキら青年図書館員連盟の幹部連を動員して「主トシテ〓的立場ヨリ観タル国民全体教育案」なる壮大なる構想の報告書を、「某方面」に提出したという。

某方面とはスメラ学参謀!

この「某方面」につきて、よねい氏は「今日では明らかにすることは適わないと思われるが」と記しているが、まさしく年代といひ、内容といひ、オタどんの指摘せるごとく、皇戦会常務理事にして陸軍中佐・大本営参謀、高嶋辰彦に他ならないであらう!!!
いやまさに。
大東亜トンデモ学と大東亜図書館学は、図書館奇天列斎こと間宮不二雄によって融合し「大東亜ト学」にならんとしていたのだ!`・ω・´)oシャキーン
んでも、よねい先生の調べでは、この壮大なる報告書、たなざらしになったらしく、昭和18年になってから公開されている。
高嶋辰彦は昭和15年に台湾に転出しちったので、忘れてしまったのであらう(´・ω・`)
無念ぢゃ。あと一歩で本物の大東亜ト学が成立したのに。。。