書物蔵

古本オモシロガリズム

イノショー先生の「裏街道文献」論

この文献について思ったこと。

  • 「基調講演 私の図書館利用法」『私立大学図書館協会会報』118 201〜213 2002年11月 ※いちばん重要。

「裏街道文献」

昔から、とくに本格的に下半身学派となってから――戦前は基本的にズロースをしてなかったとか、女性も立ち小便をしていたとか*1には感動した――イノショー先生の資料探索活動には興味があったのだが、ちやうど、パンツ(とくに日本の女性用、さらに、その運用を中心とした)の歴史を書いている最中に、図書館関係者をまへにしてそれを語ったものが見つかった(とゆーか、フツーにザッサクを引いただけなんだけど)。ちゃんとタネあかしをしてくれている。
先生はまづ、「裏街道文献」なる概念を提出する。まぁ谷沢永一のいう雑書といっていいだらう。それまで誰も書いたことのないような、パンティー(といふか、当時の用語としてはズロース)の普及史を書こうとすると、古いさまざまな資料、新聞記事や雑誌記事、風俗小説などなどを渉猟、考証して情報の断片をかきあつめ、それを、スジにまとめていかねばならん。その材料になる古新聞、古雑誌、通俗書のことをイノショー先生は、決して閲読や所持がいばれないものとして「裏街道文献」と呼ぶ(以下、ウラ本とする)。
で、そのウラ本の探し方についてはいっとう最初にこうのべる。

調べ物の客が肩身の狭い思いをしていた国立中央図書館

(若い頃は)あまり図書を探す勘も出来ていなくて〜無理をして国会図書館に頼りました

この「無理」には、新幹線代や時間などのことも、トーゼン含まれるのだろーけど、どうやらそれ以上のものが含まれるみたい(*´д`)ノ
頼る→国会図書館バンザーイ、となるのではないとこが、おもしろかなしいところ。

初期には国会図書館へ頼る部分が多かったせいで申し上げるのですが、あそこへの悪口というのは言い出したらきりがないです。

ということで、1993年の『オール読み物』に発表された両事件のことが再度、語られる。

それでも東京はやっぱり恵まれている

そんなある日、国会図書館の喫茶室で後ろのほうで何人かの人が喋っているのを聞いたことが〜
「(文献を見に)京都まで行かなくちゃならないの」
聞きながら、心の中はテロリストみたいになってました。

ココロのなかはテロリスト…( ・ o ・ ;)
わちきもよう東京を離れられんのは、古本があつまらんから。もし、信州の山奥に巨大な大学都市があって、そこに全国から古本が集まるんなら移住も考えるが…。けど、つくば学園都市に図書館情報大学なぞまでありながら古本屋文化、古本文化が栄えなかったのは、文化の集積には時間がかかるし、移植もむずかしいということだね。

書き込み本はどうなるの

『南蛮幻想』を書いていたとき、たまたま京都のキクオ書店で伊東忠太書き入れ本がでたのだそうな。

今、いちばん畏れているのは〜全部の情報がコンピュータ入力される時代に、こういう〜なぐりがきがどんなふうに処理されるんだろうと。

図書館界の情報派(列挙書誌派といってもよい)は、おおむねこういった個物についての分析書誌的なものを、馬鹿らしいものとして排斥、ぢゃなかった(^-^;)、捨象する傾向にある。たとえば、むかしは副本記号なんかをつかって、同じ本の個別性、歴史的来歴なども一緒に(結果としてだが)管理してきたが、最近はどこの図書館でも、わりとどーでもいいことにしてるからなー。
ま、書誌レベルではマージ(統合)しても、個物、副本レベルでは別に記述や注記をもてるようなのがほんとはいいんだろうけどね。
ただ、図書館員が、そもそもこういった書き込みや落書きの意義に気づかないということのほうが問題。あの国会図書館でも、蘭学者の付箋をきれいさっぱり取り去って、それ(って、付箋を)を閲覧に来ていた学者を(悪い意味で)驚愕させた「蘭書事件」とか、きちんと司書課程の教科書に記載すべきだよ。
千代田図書館ぢゃあ、戦前の学生による書き込み――たしか、高文試験の参考書かに、日大と法政だったかな、相互に大学の悪口を書きあうというもの――を、オモシロな資料として展示までするご時勢なのに、上記図書館では、本の受け渡しで戦前古本屋の丁稚みたいなことしているの見て、税金的にも意義としても心底あきれたことであった。落書きなどに関しては、抑止しつつ発見したら無理に現状回復しようとしないで記録する、ぐらいがコスト的にも、個物の来歴を担保するにも妥当と思う。
(かきかけ

*1:やりかたは、読めば、あゝ、と思うよ(σ^〜^)