書物蔵

古本オモシロガリズム

火災保険地図


なにやら京都方面で日本で始めての火保図研究会があるらしい。

京都市明細図』ワークショップ
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/GCOE/info/2011/06/post-67.html
開催日時: 2011年6月15日(水)  17:30〜19:30(予定)
場   所: 歴史都市防災研究センター カンファレンスホール
主   催: 文部科学省グローバルCOEプログラム「日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点」(立命館大学)、アート・リサーチセンター
共   催: 立命館大学歴史都市防災研究センター
協   力: 京都府立総合資料館

それはともかくメモ。

私は経理に三年間務め、昭和15年に〔明治火災社の〕東京営業部の東京係に移りました。〜東京係というのは東京における営業内務で〜住宅物件についても引き受けた契約について一件ごとに保有額を課長が決め、それを町ごとの青写真の中に一件ずつ書き込んでいくのです。住宅物件の保険金額は、五〇〇円から二、〇〇〇-三、〇〇〇円位が普通でしたが、そのうち幾ら保有するかを〔青写真に〕記入するわけです。そして再保険係が残額を再保険に出す手続きをするのです。(p.12)

なるへそ。

また、前述しましたが、大きな青写真がありまして、例えば駒込三丁目というと、一軒ごとに家が記載されている青写真に主任が赤筆で、これは二〇〇円保有、これは一〇〇円保有というように一軒ずつ決めていくのです。当時はこのようなやりかたでやっておりましたが、現在とは隔世の感があります。(p.13)

にゃにがにゃんだかわからんってか(^-^;)
なにをかくそう、文中で「青写真」と呼ばれているものこそ、かの「火災保険地図(insurance map)なのであーる(`・ω・´)ゝ
出典

  • 昭和の損害保険 : 業界と共に歩んだ五十年 / 塙善多著. -- 損害保険企画, 1989

考察

1940年段階でも現役として使用されていた。
使用の現場は営業の事務管理部門。目的は契約1件ごとの保有額管理のため。
現場では(少なくとも明治火災社では)「青写真」と呼ばれていた可能性もある。
1枚は1丁目単位程度。綴られていたかどうかは不明。
使用法は、青写真に1軒ごとに直接書き込む。朱などをつかう。

(提言)ふつーに火災保険地図という用語をつかってほしい

京都の研究会では、おそらく一般人にわかりやすくするためか「明細図」という「住宅地図」に近似の概念をあらわす語を用いているが、しかし、これから「研究」を進展させていくためには、「火災保険地図」を使うほうがよいと私は思う。「明細図」は、住宅地図だけでなく航空写真に添え書きしたものやただの地割り図なども含む、かなり広い概念であるということがひとつ。それからもっと重要なことだが、火災保険地図の再発見(1980年ごろ鈴木理生氏らによる)からここ30年というもの、研究がほとんど進展せず、現在ただいまの時点ですら、残存せる火保図の発掘からはじめないといけないという課題からはじめないといけない。
そのような状況下では、まず「火保図」という地図種の意義を明確に訴えるべきと私は思うので。
京都の明細図では、

たまたま、なんだかよくわからんけど市街地の大縮尺図が京都に残ってました。これを使えばいろいろわかります。よかったよかった

というお話が1つできて終わりになってしまう。
火保図というものは、そんなある都市のある事例で終わるものでは全然なくて、

昭和前期の日本、それも内地だけでなく外地も含めた都市部の詳細事情がより実態に近い形で判明する超重要資料

という一般性があるものだから。