書物蔵

古本オモシロガリズム

火保図のこと

書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月6日

「神保町の地図は意外と無いんです。昭和二十七年に火災保険会社が作った地図(火災保険特殊地図)があって、住んでいる人の名前まで書いてある。これがとても役に」さういや火保図の悉皆文献リスト創ったな / “対談=鹿島茂×森まゆみ 神田…”
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書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo

火保図は、火災保険会社が作ったといふよか、各地の製図会社が随時作って保険会社に納入したもの。
印刷物でなく、原図を納入のたび、複製したらしい。

ここ十年、やうやく史料価値が認められてきたが、散逸がはなはだしい。

その原因のひとつに、沼尻火保図の寄贈と返還にまつわるドタバタが…

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園部綾部@工学,経営学,鉄道etc.
まつど
ナナシキ
ゆいま
Otsuka Akihiko
カツドンスキー@YOI
🍛たろう tarou
樫原辰郎
sa ga

9:02 - 2017年5月7日
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新しい会話
書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

返信先: @shomotsubugyoさん

火保図については、とりあへずこちら参照
https://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-honbun-601014.php
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書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

わちきも、2010年にかなり調べたものをUPした(が今は閉鎖中)
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B2%D0%CA%DD%BF%DE

いま都市整図社のコピーを購入する、といった形でしか活用されとらんが、他にも火保図製図社はあったし、古い火災保険会社の倉庫に眠ってゐる火保図は国民的財産になりえる
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書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

閉鎖中のこのエントリから転載
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20101218/p1
火災保険地図研究小史
上記年表を見て気づくことは。
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書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

前史 英国では近代火災保険の発祥にともない、18世紀には火災保険地図がつくられ、米国などにも19世紀に広まった。
大正 日本では大正年間に都市化が進んで全国で火災保険が売れるようになったようだ。海外と同様に火災保険の普及に伴い、おそらく大正末年ごろに最初の火保図が作られたようだ。
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書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

昭和前期
昭和になると、特に昭和2、3年に、火保図作成会社が相次いで設立された。火保図のニーズが高まったからといえよう。
主要都市に複数の火保図作成会社があり活動していたが、それらのうちのひとつ、沼尻長治の経営にかかる会社は外地へも進出した。
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書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

昭和8年には台湾の諸都市を現地調査し火保図を作成している。この会社が昭和14年に「東洋」という言葉を含む新名称に改称されたのは図化範囲の拡大を反映させたものであったろう。沼尻は後の回想で、外地(樺太、台湾)での現場調査を苦労話として挙げている。
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書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

沼尻はまた、昭和19年憲兵隊に「戦時改描」もどきを強いられたことや、地図を押収されたこと、地方都市でスパイとして警察に尋問されたこと、印紙の貼付義務などを回顧している。
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書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

これはむしろ戦局が苛烈になればなるほど火保図のニーズが強くなったことを示唆しているように思える(戦災をうける可能性が高まるので)。
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書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

火保図がそもそも出版物扱いされていたのか否か(保険会社に渡す場合の複製(青焼き)が「出版」とみなされれば出版法の適用をうけ、内務省納本や検閲が発生する)、貼付せねばならなかった印紙が「統図番号」つきの印紙であったのかどうかなど、近代民間地図出版史上の疑問点は多々あれど、
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書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

これらは皆、まだ研究が手付かずなので、不明である。
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書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

戦後
戦災復興期から火保図のニーズはあったようだ。沼尻は闇市での調査を回顧しているし、実際、1994年に戦後版の火保図闇市の再現に使用された。
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書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

火保図の転機は昭和30年前後に訪れる。保険料率の計算に別の方法が使われるようになり、火保図が不要になったのである。沼尻は「日本火保図(株)」という名称の会社を経営していたが、1956年により一般的な地図作成会社風に改名していおり、1961年の『保険辞典』でも、
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書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

火保図の説明は過去の事物としてのものにみえる。今回京都で発見された火保図も、1951年ごろの改訂が最後であるようだ。
このころに現用品としての火保図の歴史は終ったといえよう。
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書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

一方で非現用品、史料としての火保図の価値について再評価する環境が整いはじめたのもこのころである。明治百年前後に古書ブームがおこり、古地図もまた収集対象としての価値がでてきたのである。
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書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

しかしながらこの古地図収集はもっぱら前近代のものが中心であった。ましてや広く出版されなかった火保図はほぼその存在を世間から忘れられてしまっていたといえよう。古地図がらみの基本書を昭和50年に矢守が書いた時に火保図は、米国にあったものとしてほんの数行ふれられているのみである。
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書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

沼尻火保図の発見
 そんな忘却状態は、千代田図書館が沼尻氏の火保図の存在を1981年に知ったことで変わった。朝日新聞で貴重な郷土史料として紹介され、火保図が「偶然資料」(@柳田国男)として無上の価値があることが公知のものとなったからである。
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書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

しかし、実際の利用は、わずかに一部の区が復刻地図帳に使った程度であまり進まなかった。図書館界で1970年代の貸出運動が大成功しすぎて郷土部門がおそろかになったこと、郷土資料館という機能重複をおこす機関が設置されるようになったことなどが理由として考えられるが、よくわからない。
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書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

新しい事態
 事態がかわるのは2000年代に入ってからであろう。
 生涯学習や自分史執筆の風がひろまり、個人が普通にゼンリンなどの「住宅地図」を使用するようになった。使用するようになれば、時代的に遡りたくなるのは自然のことである。
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書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

2003年の法改正で不動産業者が商売として「地歴」を調べる必要性も生じ、土地や家屋の過去への調査ニーズは高まる一方であった。
一方で、PCやスキャナー、デジカメの技術革新により、個人が図版を手軽かつ安価に複製・応用できるようになった。
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書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

全国各地に埋もれていた火保図が、いままさに発掘されんとしているのだ。

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などとブログでブチ上げたのは2010/12/18(土)ぢゃったが、その後、京都で発掘されるなど部分的な進展はあれど、ほとんど事態は展開せすぢゃったですのー
(´・ω・`)
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新しい会話
書物蔵(古本フレンズ)‏ @shomotsubugyo 5月7日

あっと、
「偶然資料」(@柳田国男)は「偶然記録」のマチガイ(^-^;)
あと、1981年に千代田図書館が沼尻火保図を発見したと書いたけど、実際に発見(新資料として価値を評価した)のは組織といふよか、むしろ、鈴木, 理生, 1926-2015 || スズキ, マサオ だよなぁ
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会話の終了