書物蔵

古本オモシロガリズム

アホ馬鹿まぬけ大学紀要… でも、いーぢゃん(σ・∀・)

谷沢永一氏がむかし「アホ馬鹿まぬけ大学紀要」と言ったというが…
マルクス博士のツイッタ経由で次のブログを見たら、いまでも、日ユ同祖論をブチあげる大学教員がいるのね(σ^〜^)スバラスィ〜
http://d.hatena.ne.jp/worldo/
イチオシの論文はこちら
大塚清恵「日本・イスラエル比較文化研究(2)日本列島は誰が創った?」『鹿児島大学教育学部研究紀要 人文社会科学編』61, 97-123, 2009
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/bitstream/10232/9161/1/J08Otsuka.pdf
わちきは常々、大学には冗長性が必要と思ってをって、かやうなるトンデモ説でも、まじめに、論理的にきちんとやるような人は教員(研究者)としてをってもよいのではないか、と思うテをる(ただ、今回の論文は、そこらへんがきはめて甘いらしいが)。なにごとも、論争の末にしか確からしいことは見出せぬですよ、学問上は(というか、反証可能性が担保されとるものが学問上の言説と見做されうるのであらう)。
善良なるネット住民は皆、マジキチとか嗤ってをるし、もちろんそれは通俗としてはまったく正しいとしかいいやうがないんだけれど、学問なといふものは、対象はなんでもいひわけで(イノショー先生の下半身学派を見よ)。
もちろん、この人の論理的甘さをとらまへて、この人、学者ではなゐよね、といふのはアリ(。・_・。)ノ
と、今、パラ見したら、やっぱす文献ちょびっと論理は超アマ(ってか論理になってない)、こりは方法的に学問とはいひがたいなぁ(・∀・`;)
この人は、学者といふより、教育家として大学にをるのだねぇきっと。ってか、サイニー見ると、どうやら振り出しは1980年代末の英語教育あたりらしい。会話学校の先生といふか、文学系の人って、論理も資料調べも異常にアマイ傾向があるから、それでも大学の先生になっちゃったんだねぇ。
運がいいことだけは確かだ。ん?(・ω・。)、いまサイニーを見たら、女性学(ジェンダー論)もやっとるね。英語にジェンダー論、意外と時流に乗るのも上手なのかな?
それに、論がアマくても、資料調べ(実証)が異常に細かかったり、新資料を見つけてきたり、実は史学なんかは、それだけでオリジナルの成果になりうるし。
この人はウンはよかったが、論理も調べもだめだったといふことで、実はかたづけるのは簡単な事例と思はれる。
ただ、こんな人がいたら、どうか。
たとえば、心霊の実在を信じている司書課程教員が居るとして(あくまでも仮説ですよ、仮説。いや、絶対にここでは仮説としておきたい。誰がなんといおふとも仮説ね)、その人の書いた教科書(たとえば『文献調査法』第1版)が、そのトンデモな側面をのぞけば存外、わかりやすく評判もよいという事実があったらば。
むずかしい…(゜〜゜ )