書物蔵

古本オモシロガリズム

セクハラと論文指導、転移と自由連想法

※画像はBIBLISのお皿バージョン

最近、日本図書館情報学界界隈の学術性が低下しをるやうにわちきは感ずる。図情大系の人は感じぬといふてをったが、わちきは感じるので、こりゃしょーがない(。・_・。)ノ
まあそのしょーがなさはともかく、学術といふのはすべからく学術としての最低の必要条件を備えるべきと思ふのぢゃが、そのなかに論理性といったものがある。
図書館史系でいふと、史実(事実;ファクト)は確かなのに、それをつなぐ論理がトンでたりするやつ。

わちき:査読とか、本当の専門家でないのに頼まれてやる場合、とにかく論理がトンでないか見るとなんとかツッコめるですよ( -Д-)ノ
Mさん:書くこと自体「考える」側面があろうけれど、なかなかむずかしい。ナントカさんみたいに書いてることが単なるコピペでしかなくなってることもあるし。広く読むということで自然に考えることになってバランスよく記述できることもあるし。西田幾多郎はぜんぜん読まないでウンウン考えてばかりなのに狩野直樹は読んでばかりだったとか。フィロソフィーとフィロロギーの対比ですな。

とかとか、

わちき:ちゃんと本人に指導するんですよねぇ(*´д`)ノ
Tさん:するよ。一度は(。・_・。)ノ けど不安である種おかしくなっちゃってることがあるから、気を付けないといけない(゜〜゜ )

どうも聞いた話では、指導を受ける側はいろいろと心の変調をきたすらしい。博論・修論がダメでも就職すりゃあイイや、ちゅー人でないと後がないから、不安でおかしくなっちゃふらすぃ〜(゜-゜)
それにうかうかと指導側がのっちゃふのは危険。一生懸命やっとることと、論として成り立つことは必ずしも直結しない。事実の収集や羅列ができても、それを論としてストーリーに組立られる人とられない人がいる。
同情してくれてると思った人が、「論として通せない」といふと、どうかすると衝突してアカハラとかセクハラとかいはれちゃふこともあるらすぃー(´ヘ`;
逆に、おかしくなっちゃった院生にあおられてしまふ教員もいるらすぃ〜(*´д`)ノ

Mさん:それって転移ですよ。自由連想法って、さういふ意味で重要な技法の開発で。対面で同期しながらやりとりすると転移しがちだから、それを避けるといふ機能がある。
わちき:さうか(゚∀゚ )アヒャ ぢゃあ、論文指導も自由連想法でやりゃあいいんだぁ(o^∇^o)ナーンだウン(*-ω-)(-ω-*)ウン
M,Tさん:それ指導にならない…(-∀-;)

わちきの恩人の一人に虎の門の先生がをるんだけど、その人、わりと突き放した物言いをしてたんだよね。それが一部の客には「ふまじめだ」ぐらいのことを言はれてたんだが、じつは転移対策だったのではあるまいかと思ふのぢゃ。