オモシロがって並べてみた(・∀・)
画像は(左から)
- 東京書籍商組合版の『出版年鑑(昭和15年版)』 ※昭和4年版〜 書籍商版の最終
- 東京堂版の『『出版年鑑(昭和16年版)』 ※昭和5年版〜 東京堂版の最終
- 統制下、セットで出た『書籍年鑑(昭和17年版)』と『雑誌年鑑(昭和17年版)』 ※2冊セットで出たのは最初で最後。昭和18年版は結局1冊として東京堂版S16と同じ規模に戻ってしまふ(´・ω・`)
どうかすら。
ならべて見ると、厚さから、情報量が体感できるでしょ(σ^〜^)
で、だ。
これらのうち、どれを基準にモノを考えるべきかといへば。
そりはもちろん、昭和17年の2冊本。
これだけの(厚さの)多様性を、昭和前期(含.戦中期)の日本出版会、じゃなかた出版界は持っていたと思うべきなのだ。書籍商版といひ、それを(途中で)凌駕する東京堂*1といふも、この2冊本にたる多様性(幅の広さ)を拾えていなかったと考えるべきなのだ。
そのやうに考えればこそ、先日の『火保資料』なる希少雑誌をも発掘することができるのぢゃ。
よく、「みあたりましぇ〜ん!」というレファ回答があるが、そりはまさしく見あたらないだけで、「無い」訳ではありません!`・ω・´)o
もちろん、昭和20年になにもかも燃えてしまうのぢゃが…(´・ω・`)
堀内庸村さんの娘さんに聞いたのだ。「三月十日は東のほうが真っ赤で…」