書物蔵

古本オモシロガリズム

標目マニアの猫猫先生

ほんたうにめづらしく、本に書誌の標目のことが言及されていた。

また、翻訳一覧を作成するのには、国立国会図書館OPACを活用させてもらった。これが明治期以降の全書籍を乗せるようになったのは、二〇〇三年以降だと思うが、このことは人文学の革命とも言うべき出来事であった。なおこれを使うについては、翻訳に関しては、著者標目「大久保、康雄(一九〇五-一九八七)」などは当てにならない。世界文学全集などでは抜けていることが多いからで、現状では「」単独で検索すべきものである。なお調査の過程でOPACの間違いを随分見つけたので、そのたびに国会図書舘に報せたが、応対はたいてい大泉典子さんで、お互い知らずにこんなにメールのやりとりをするのも珍しかろう。(『翻訳家列伝101』p.289

わちきも、国会さんが明治前期からの(遺漏が多いとはいへ)書誌データを全部ネットで出したことは、日本における一部自然科学を除く残りの全分野(人文や社会)において「革命とも言うべき出来事」だと思ったけど、あそこはよいことはこっそりかくしちゃうから、結局世間様の支持を得られないんだよなぁ。その原因は現場のマジメ純粋マッスグ君のせいだと思う。
標目(統制されたデータ要素)のとこも、外野からみると、ただの金くい虫でしかないんだけど、この部分をなくすと、ほんとーに、そもそも全国書誌作成機関が不要になるという世間様。
でハ統制者がそれなりの畏れや矜持でやっとるのかとゆーと、ひたすらコーリツ的事務にしちゃってたりして(σ^〜^)ってか。
とまれ、もう標目ぐらいしか、キャタロガーのやることはなかったりして(^-^;)