新聞DBはとってもオモシロなんだけど、ここにもまた、コレクション史、出版法制史上オモシロな記事。
評判の本や発禁物/内務省で猫バヽ/明治八年以来の制度を破ると/文部省が近く講義
読売新聞(1930.7.24朝)p.11
記事によれば、明治8(1875)年2月以来、納本複数部のうち1部(副本)は文部省の図書館に送られているが、「どういふ訳か近年内務省では一ケ年に納本される六万数千部の中約二割ほどの評判のいゝ本のみは之をせず、その上発売禁止の本は是まで一冊も送ったことがないといふ」
文部当局(おそらく帝国図書館)の談話が、かっこ『 』にくくられて記事中の半分の割合で載っている。
ちなみにこの記事は確実に内務省図書課も検閲していたはずであるが、発禁になった様子はない(発禁年表による)。論争相手が文部省だったからか、あるいは内務省の言い分も載っていたからかなぁ。「制度」ではない(「記録はない」)し、「便利公益にもなり慣例」でしかないから、「文句を言はれる筋合はない」と。
文部省の言い分
- 「どういふ訳か近年」の現象。
- 1ヶ年6万数千部のうち、2割が来ない。※内務省統計上、この数値になったのは昭和2,3,4年。その意味で昭和5年のこの記事と平仄はあうが、実は、この数値は、約3万の雑誌部数と約1万の官庁出版物が足しこまれた数値なので、実態論としては話がヘン。というのも、雑誌は当時、交付されていなかったはずなので、帝国図書館側が挙げるべき実数としては2万とか、3万でないとおかしい。ただ、図側が漠然と2割来なくなった、と思うようになったのは事実であろう。なぜなら、その実感がないとこの記事自体が成立しないから。その実感とは別に、公式統計の数値をもってきた可能性が高い。
- その2割は「評判のいゝ本」と、発売禁止の本 ※ということは、少なくとも来ない本のタイトルを、なんらかの網羅的情報(流通系書誌?あるいはただの感覚?)と照らし合わせて図側は把握していたといえる。
- 発売禁止の本は「これまで一冊も送ったことがない」 ※交付のあとに発禁になったものでなく、出版時点から発禁だったものは交付されたことがない、ということだろう。正副2部とも内務省にとめおかれ、製本は永久保存として発禁の書庫に納められたのであろう。
「発禁物」にしても、「たとひ公開出来ぬとしても之を所蔵するのが図書館の使命である」 ※この言や佳し! 明治憲法下でこの「使命」。現行憲法下では如何??? - 「緊縮〔財政〕で思ふ存分本の購入ができないからせめて此の方で補って行かねばやり切れぬ」 ※なぜ納本の話に「購入」の話がでてくるかといえば、官庁出版物、雑誌・新聞、外地の出版物は、納本を廻してもらえず図では買ったりもらったりしていたから。
考証
検閲制度下で内務省の納本の収集率はきわめて高かったはずなので、それを受けついだとされる帝国図書館蔵本も、同様の収集率だろうとみなされてきたけれど、当時の「文部当局」者の実感(or調査)として、(普通の図書について)8割ではないかと認識されていたことがわかる。
「発禁物」が最初から移管されないにしても、検閲をとおった一般書が図書館に来ないということはおかしい。内務省には正本が永久保存と1年保存とにわけられ保管されており(浅岡2008)、そこには正本があったけれども、検閲を通った副本まで内務省内に留め置くするいわれはない。
とすれば、どうやら、内務省の事務官(かその下僚)が余碌として「猫バヽ」していたらすぃー。してみると、現国会の戦前普通本にポカリポカリと欠本があるのもむべなるかな(゜〜゜ )