書物蔵

古本オモシロガリズム

奥付研究、というか検閲研究か?

こんな文献を読んだ。
・太田真舟「戦前の納本・検閲:内務省の発禁本について」『日本古書通信』40(10) [1975.10] p.5-7
この昭和50年頃、ちょうどLCから内務省発禁本コレクションが国会に返還されたので、それにあわせて書かれた記事だとある。
中身は内務省の納本・検閲事務に関する回想。超めずらし。とはいっても、著者の太田氏の直接の証言ではなくて、著者の「某先輩」で「古稀に近」い人からの聞き書き
それによると…
・昭10sの前半に約2年間、週1で納本に行った。

納本の期日と、奥付の月日

・納本の3日前は、厳重に守られていた。
・納本が遅れたら、奥付の月日を訂正しなければならない。
・遅れても発禁の対象にならないもの(とくに官庁出版物)は、説明し、月日の訂正捺印で受理してもらいやすいと聞いた(伝聞)。

奥付の月日 内交本(検閲本)と市販本(流布本)のズレ

・内交本の月日が訂正されていれば、それが法定納本の正式な月日。
・市販本は訂正されていないらしい。

窓口

・場所:旧内務省(戦後の人事院ビル)受付のうしろ
・約50cm四方の窓口
・受理すると奥付をすぐ調べる

それから先(伝聞)

・3部門 図書 雑誌 新聞
・各部門ごとに各分野の専門の担当者
・担当の実務者 判任官
 朝早くから、夜遅くまで、残業手当もないのに、熱心に仕事をしていた」
・場所

雑誌部門

・雑誌検閲のエキスパートがいた
・該当箇所は各ページ余白(上)に精緻にメモ それを上司に廻す

検閲の決裁

・見返しに「○○○相成可然哉」と直接書き込み、捺印(警保局長、課長、係長、検閲担当者)
・発禁、削除、抹消、次版改訂、次版写真削除、発行者注意など
・発禁でも捺印は多くなかった
・余白の書きいれ 参考事項などは詳細 担当者の意見は最後に記載

検閲本は

・戦後の混乱期に、神田の古書店で1,2冊みかけただけ それも検閲を通ったもの
・一般への流出はほとんどなかった、といえる

図書課の書庫

・一般書の書庫 割合に容易にはいれる
・発禁本の書庫 施錠 薄暗い 和書と洋書にわけて排架
・親友がいて便宜を図ってくれた

映画の検閲室

・場所:西の方の奥(同じ人事院ビル)
・「シーンとして、映写機の回転の音だけひびいており」
・検閲官が机上の台本を見ながら見る。
・問題点があると検閲官がベルを鳴らし、映写を止め、フィルムを切り取る。
・切り取ったフィルムだけをつないだものを見た人がいる。

オモシロなところ

「内交」って…(・o・;)

笑っちゃうのは、(おそらく太田氏の注釈部分にある)こんな記述。

内交=内務省交付の意=の二字と受入年月日が印で押されて、購入の図書と区別されてると大部〔ママ〕前に聞いたが、内交なんて言葉は広辞苑にも載つていない

そら、そうでしょう。ナイコーってのはこれまたおっそろしく限定的な、ジャーゴン(*´д`)ノ
「交付(こうふ)」という用語が当時の行政法の、財務法規(つまり実定法上)の法令用語なのか*1、ただ「あげるよ」という意味の一般漢語なのか、きっとだれも調べてはいないでしょうなぁ。こんど調べてみよーっと(・∀・)

検閲本は

副本はそのまま帝国図書館へ(のち国会図書舘へ)。
正本の発禁本は内務省の書庫へ(のち米国議会図書館、さらに国会図書舘へ)。
正本の問題ない本は東京市立図書館へ(日比谷図書館分は空襲で焼失。千代田と京橋、深川図書館に一部残存)。

いばりちらす窓口の役人

納本とは直接関係ないんだけど、内務省の建物の出入り口にいた雇とか傭人とかが、なんだかむやみに威張っていたと回想されている。それに対して高等官や判任官に対してはずいぶんといいイメージを回想者は持っている。ふしぎなもんですなぁ(*´д`)ノ
って、これって典型的な「ストリートレベルの官僚制」じゃないすか(゚∀゚ )アヒャ

内務省納本は2部納本だったことをお忘れなく

いま国会が持ってる「内交本」は2部納本の副本で、正本(つまり検閲の決裁のカキコがあるもの)は東京市立図書館に交付されていたという点が書かれていないね。
検閲のハナシをするのであれば、まずもって東京市の本にめくばりが必要だが、一般には近年にいたるまで、国会の本のハナシとごっちゃになっいる。国会も、帝国図書館内務省から本をもらいましたよ、とは説明するけど、東京市の本については説明してくんなくて、混乱が放置されとる。

証言者について

証言者は、昭和10年代前半に、おそらく週刊誌に関係していたのだねぇ。内務省の役人(判任官以上)に親友がいたということは、おそらく高学歴の編集者か。

*1:モノの管理を他省庁に移すのを「保管転換」とかいったのは、あれは何用語なのだろう…