書物蔵

古本オモシロガリズム

日本図書館史学に固有の方法論はありやなしや?→日本固有の史学史ならあり。

ブクマを見てたら「現代の図書館」vol.48 no.2が出たらしいと気づく。JLAサイトにこうあった。( )の中はどうやら著者がつけたキーワードらしい。

「特集:調査研究法を学ぶ」
調査の統計処理 / 歳森敦(社会調査, 質問紙, 統計, R )
フォーカス・グループ・インタビューは利用要求を解明する / 長谷川豊祐 (質的調査, フォーカス・グループ・インタビュー, 利用要求 )
図書館サービス評価の実践‐慶應義塾大学におけるLibQUAL+R(ライブカル)の実施と結果 / 浅尾千夏子, 藤本優子 (LibQUAL+R, ライブカル, 慶應義塾大学, 利用者調査, 図書館評価)
図書館の遠隔利用者に関する調査手法の比較‐国立国会図書館ウェブサイトを事例として / 安形輝 (遠隔利用者, ウェブサイト, 国立国会図書館
図書館史研究をどう進めるか / 奥泉和久 (図書館史, 図書館史研究, 図書館史研究方法論 )
図書館実務者による調査研究 / 阿部信一 (医学図書館, 実務者, 調査研究 )

わちき的には奥泉氏の図書館史にキョーミあり。でもなぁ、図書館史がもし学問ならきちんと史料読んでくださいとしかいいようがないから、図書館史固有の方法論なんてないはずなんだが…(゜〜゜ ) そこいらへんの、ちっとオモシロおかしいけどためになるお話が、ちっとまえ流行ったエビデンスなんとかがらみでつぎのサイトにあり。

「図書館史研究にとってエビデンスとは何か?」
http://www.slis.keio.ac.jp/~ueda/eba/5/event070728_5.html

まあこれは、結局、エビデンスは史料だったというオチなんだけどね(^-^;)
なんというか、日本図書館情報学の周縁性を見ますの。

固有の問題

固有の方法論なぞないけど、固有の方法はあるでよ。一次資料がないから、かわりに使えるある種の出版物とか、日本図書館員の壬申戸籍とか。
んでも、たったいま、図書館史学に史学一般と異なる固有の方法論なぞないと言ったけど、特殊史VS一般史という意味では固有の事情、つまり、日本図書館史学史における固有の事情ならあるよ。石井ワールドというか人民史観というか。上記のエビデンスで三浦先生が石井史観は、図書館運動に役に立つものが図書館史だといっていたと指摘しとる。そこいらへんのことが書いてあればオモシロいんだけどなぁ。

たとえば昭和19年に死んだ岡田健蔵

じつは最近わちきがハマってをるあることに関して、岡田健蔵がむちゃくちゃ重要であるということがわかり、あわてて「積ん読」しておいた『岡田健蔵伝』(1998)を今、見たら、やっぱす!`・ω・´)o
ところで、それなりに以前から日本図書館史にキョーミあったわちきがこの本を買ったのはたしか古本道に戻った数年前であたような…(^-^;)
じつは1998年に出ていること自体、近年に至るまでぜんぜん知らんかった。といふのも…
「中央」の図書館関係誌で書評がでなかったかららしい。雑索を引くと唯一、地方の特殊誌にのみ書評が…
・書評 坂本龍三著『岡田健蔵伝』
 北の文庫. (27) [1999.6]
著者の坂本龍三さんってば、ごく最近なくなったらしい(。・_・。)ノ これもいま、ザッサクを引いて(×o×)
・遅ればせながらの『岡田健蔵伝』拝読 (追悼 坂本龍三先生) / 根本 彰
 北の文庫. (51) [2010.1]
ここで問題なのは、こーゆーこと。

  1. 昔から図書館史に興味があった古本オタクのわちきでもなぜ気づかなかったのか
  2. そもそも1944年に死んだ人の研究をなぜ1990年代になるまで誰もやらなかったのか
  3. さらにまた、それすら中央の学者に認識されたのが2010年だったというフシギな事実

もちろん、わちきがアフォだからとか、岡田が無意義な存在だからとか、根本先生がイソガシかったからとか、いろんな選択肢はあるんだけれども…

これこそが、石井史観の強さ(ぜんぜん褒めてないが)

結論から言えば、

岡田健蔵は正しくも良い意味で、畸人だったし、死んだのが先の大戦中だったから

そこいらへんのこと、根本先生は書いてをるかしら(=゚ω゚=)
もっとはっきり言うと、岡田の図書館事業のコアにはキョーレツなコレクターシップがあって、1970年代的人民史観にぜんぜんハマらないし*1、さらにいへば、岡田の同時代人が1969年に出した記念論集には、わちきはべつになんとも思わんが(むしろ捨象して考えるようにしている)、大東亜戦争を肯定するレトリックがある*2。パラパラ、とめくった途端に、軍国主義者かしら、と1970年代型のノーミソは判断してしまふ。
これぢゃあ、石井ワールドで岡田の評価はできやしませんがな。
こういった日本図書館史学史固有の歴史事情(石井先生が直接、米国図書館史学界に影響を与えたという話を一度も聞いたことはないねぇ。そーゆー意味で日本固有。逆はあるだろうけど。もちろん、間接的なら、海外への影響はあり。たとえば「南京図書大略奪」問題*3
もし、ほんたうに日本図書館史を学問としてやるのであれバ、まづは史学史が書かれないと。
もしわちきに「日本図書館史研究の方法」とかいった原稿が依頼されたら、こんな項目で書くね。

・史学史の必要
図書館史は一般史(日本史)の部分なのか、特殊史(図書館情報学の部分)なのか。両者の長短について。
・石井史観の成立
竹林熊彦石井敦。小川剛や岩猿敏男と石井史観との関係は。ポスコロ・カルスタの加藤一夫著は石井史観を超えたか?
・Reference tool として使えるもの
いろいろ(当面秘密)
・代表的単館史
いろいろ

もちろん、かようなる知識のネタはほとんど友人らの教へによるものなのだが(^-^;)

*1:あとから経典に祭り上げられた「中小レポート」(1963)において、畸人、つまり中小レポでいう「先天的に図書館に向いている少数のサムライや変人」(p.154)はこれからの図書館に不要だとある。

*2:これはアタリマエだのクラッカーであって、現在だって、政治には無関係な事象に、民主的だのなんだの、ということはよくある。これは死んだぢーちゃんも、ソヴェトに行ったら「レーニン曰く」とやれば、みんなワー、パチパチと観客がやることになっとるから簡単だ、と言っていたし、ぜんぜん関係ないビザンチン史の研究でも論文の冒頭にレーニンがなんとか、と書いてあったことだった。有能なビザンツ学者はみな米国に移住したけどね。

*3:石井ワールド内で山崎さんが… それが現代の中国図書館史学にヘンテコな影響を。とりあへず、拙ブログの検索→http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/searchdiary?word=%C6%EE%B5%FE%BF%DE%BD%F1