一般に日本図書館史においては、満鉄図書館、満鉄調査部の人脈が戦後の館界に流れ込んでゐると言はれてをるが、じつはそれは印象論なのであって、必ずしも量的にはかられたものではない。
ので。
オタどんリストからちと考察してみた。
●青木実(大連図書館) 戦後、国会図書館へ
●衛藤利夫(奉天図書館長) 戦後、図書館協会へ
●大谷健夫(武男)(大連図書館) 1955年まで中共で留用。
○菊地弘義(新京市立図書館) 不明
○渋谷哲夫(奉天図書館) 不明
○竹内正一(哈爾濱図書館主事) 竹内, 正一 (1902-1947)‖タケウチ,ショウイチ
○中島辰海(奉天図書館) 不明
●萩澤稔(大連図書館) 富山県立図書館へ 1915?生 商業学校卒
○林一郎(大連図書館) 不明
○松川幹郎(哈爾濱石頭街市立図書館)
○山下義行(奉天図書館) 不明
○山崎末治郎(新京市立図書館長) 不明
オタどんによれば、『満洲文藝年鑑(昭和十三年版)』所収の「満洲文藝人名録」で、この12人の満鉄図書館員たちが確認できるのだが、実際に戦後も図書館関係者をやっていたのは4人である(探索法は後述)。大谷さんは引揚後、なにやってたのかな? 手許の『朱夏』(12)の西原和海氏によれば青木実らの同人誌『作文』に田口稔とかのことを書いているから、読めばわかるねぇ。いま『彷書月刊』4(6)をひっぱりだして大谷さんの文章を読むと、中共留用時のことが少しわかる。
文芸の素養があり、なおかつ本土では比較的レアな先進的図書館技術を持っていた人々といってよいこれらの人々は、戦後、とくに米国占領下において図書館界に参入する余地はおおいにあった。
12人中4人というのは
まー33%というのは、多いのか少ないのか。
文藝系のひとでない人が最初のリストからもれる形になるから、ほかにもいろいろ材料をあつめないとね。