書物蔵

古本オモシロガリズム

ウルトラスペシャル爆裂レアな、戦時図書館本キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!

ちっと気の利いた人なら誰でもやってそうな検索エンジンのチップスをつかって、古本探索に役立てておるのだが…
この前、なにげにその結果を見たらば…

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!! しょびょーこー

昭和前期、極相を示しつつあった日本図書館学

戦前の図書館ってば、閉架思想善導でオクレててダメダメで…
アメリカさんがやってきて、全部おしへてくれた…

っちゅーよーな戦後的に正しい歴史観がじつはみんなにあるように思う。
いやまぁ、そういう側面は多分にあるんだけれども…
ではあるけれども、実は、大正・昭和(前期)とそれなりの発展をしてきた図書館言説が、昭和も前期のおわりにかけて、ひととおりのアイテムをそろえつつあった、とゆーのは、実は最近明らかになってきたことで…
そのいい例が、中央図書館などで行なわれるようになったレファレンス・サービスと、帝国図書館司書官・林繁三の「図書館参考事務」(=レファレンス・サービス論)なわけだけれども…
じつは資料保存論も、ひとつのメルクマールを示しつつあったのだわさ!`・ω・´)oシャキーン
それが!!!

書病攷 / 沢田兼吉. -- 台湾三省堂, 1942.5

「書病」というのは著者の造語。「攷(こう)」は「考」に同じ意味。
本の病について考えるということである。
昭和前期、それも対米戦のさなかに、こんな立派な資料保存の単行本が出ていたとは、近年まで知らなかったことですわいわい。
ってか、NDL-OPAC分類検索そうざらえで知ってからは*1、ここ○年というもの、「しょびょーこー、ないかないかっ!」ってリアル古書展でもヴァーチャル古書店でも探していたのだわさ。爆裂レアじゃ!`・ω・´)o

澤田兼吉とは

んー、一言でいうと菌類学者。だから菌類雑誌に逸話や略歴がでてくる。
が、ググると、次のように『臺灣紳士名鑑』(新高新報社S12)にあると、 李國玄, "日治時期台灣博物館事業發展歷程之研究"(中原大学建築学系博士論文1995)にある。

1883(M16)12.26生 本籍岩手県
1903(M36).3盛岡高等農林学校卒業
1904(M37).3同校助手
1908(M41).8台湾総督府農事試験場技手
1922(T11).9殖産局農務課技手
1925(T14).9高等農林教授兼務
1931(S6).9台北帝国大学司書官

李國玄さんの論文ではこのほかにも澤田について、台湾博物学会の幹事(1912-1930)、評議員(1932-1944)を歴任し、学会25周年で表彰されたとか、『台湾博物学会会報』9(42)(1919)に記事を書き、天然記念物保護を訴えたとか、書いてある(ネット上にpdfあり)。
『台湾博物学会会報』をひっくり返せば、なにかわかるかもかも(^-^*)
戦後は青森の農事試験場に勤めたらしい(プランゲ雑索による)。

台湾三省堂(臺灣三省堂)とは

1941(昭和16)年11月設立*2、おそらく三省堂(東京)の関連会社。出版点数は少ないが、雑誌『西鶴研究(西鶴學會)』 (昭17.6)-(昭18.12)などで名が残っているやう。いま『書病攷』の奥付をみると、発行所は

台北市栄町二町目十五番地 加藤豊吉

となっている。

日本資料保存科学の嚆矢!

自分は是等以外の事で一般には余り注意されないやうな科学的方面による毀損防止について述べて見たいと思ふ。(p.5)

ということで、おもに虫害などを中心に、さまざまに科学的な考察が加えられていくというもの。
被災図書の写真図版や、害虫の図版が満載で、気味悪くもオモシロし。

館界への受容

大学図書館が数館と、県立図書館などに少数所蔵されとるも、帝国図書館にはなかった模様。戦前の納本置場たる帝国図書館では、外地の本は検閲では集まらず、寄贈・購求(購入)によって集めていたため、外地の本はかなりもれがあり、この本もその「もれ」のなかに入ってしまったといえる。ただし、戦後になってから国会図書舘に所蔵されている。古本購入によってか。
図書館学関係の書誌、天野や日外などにはない。紹介も書評も出なかったようだ。非図書館関係者が、外地で、民間出版社から刊行し、さらに対米戦開始後であったという四重苦にみまわれたため、本土において知られることがすくなかったといえる。
もちろん、ごく一部の大学図書館や県立図書館には入っているため、まったく読めなかったかといえば、そうではないが。
4重苦のもとで戦前普及しなかったということよりも、戦後において、

『書病攷』がなぜ、戦後の日本図書館界に気づかれないできたのか

のことのほうが、追及するに足る問題ではあろう。

澤田兼吉 (1883-1950) とは(2007.12.16追記)

よみはサワダ・カネヨシ。菌類学者。特に『台湾産菌類目録』の著者として名を知られるが、戦前期、資料保存について唯一の、それも自然科学的な研究書を刊行していたことは、いま誰も知らない。
画像は『日本菌学会会報』15(2)(1974.7)p.169から

澤田兼吉 略歴(書物蔵作成)

1883(明16)12.26 盛岡生まれ。本籍岩手県
1903(明36).3 盛岡高等農林学校(県立盛岡中?)卒業
1904(明37).3 同校助手
1908(明41).8 台湾総督府農事試験場技手(満24歳)
1912(大1) 台湾博物学会の幹事(-1930)、
1919(大8) 『台湾博物学会会報』9(42)で天然記念物保護を訴える
1922(大11).9 殖産局農務課技手(満38歳)
1925(大14).9 高等農林教授兼務
1927(昭2) 台北高等農林学校教授
1931(昭6).9 台北帝国大学司書官(図書館長?)(満47歳)
1932? 台湾博物学会25周年で表彰
1932 台湾博物学評議員(-1944)
1939(昭14)初夏 『書病攷』脱稿(台北佐久間町在住)(満55歳)
1941(昭16) 勲四等瑞宝章
1942(昭17) (司書官?)退職
1942(昭17)5 『書病攷』(台湾三省堂)出版(満58歳)
1947(昭22) 帰国 盛岡農林学校嘱託
1948(昭23) 林業試験場好摩分場助手
1950(昭25)4.17. 逝去。67才?(数え68歳・満66歳では)
(典拠)
・日本変形菌研究会http://henkeikin.org/>変形菌研究者列伝
・李國玄, "日治時期台灣博物館事業發展歷程之研究"(中原大学建築学系博士論文1995)(『臺灣紳士名鑑』(新高新報社S12)によるという)

*1:しかしこの、分類の(刊行年ごとの)総ざらえってーのは、未知文献の発見に益すること大だわいね。分類(の前方一致)検索がまともにできんNII系のOPACたちじゃでけへん芸当ですわいわい。ってか、それができないほうが図書館系DBとしちゃあおかしいーんだけどね。

*2:https://www.sanseido-publ.co.jp/ssd100history/ssd100history-1941-1945.html