書物蔵

古本オモシロガリズム

日本で最初の配本三輪自転車の、最後のご奉公 そして…


なんだか「はてブnews」に取り上げられたみたいでびっくり(×o×)
結局、

本館前ノ配給三輪車

とは、

岡山図書館まえから、まさにこれから宅配に向かわんと、ペダルに足をかけてこちらへ走りだそうとしている三輪自転車

だったのだ。
かくして、1922(大正11)年から1944(昭和19)年まで22年間も、この三輪自転車が岡山市内を走り廻り、日本で最初の一般人向け宅配サービスをやっていたのだ。
ブックモビルならぬ配本車(2015.12.13追記 後、概念規定を点検し、立派なブックモビルと判定す)とはいえ、これは、日本図書館史上、特筆すべきことではありますまいか。
そんな輝かしき戦前期宅配サービスも、昭和19年を以って終了のやむなきにいたる。でも、その時点まで、チリリン、と三輪車が宅配をしていたことはほぼ確実。とゆーのも。

最初の配本車の、最後のご奉公

昭和19年末から昭和20年8月にかけ、日本本土は空襲される。帝国陸海軍航空隊は無力で火星人来襲のごとくB-29が飛びまわり。
岡山市とて例外でない。
当時、図書館員たちはひっちゃきになって文献防護、典籍護持に邁進しはじめたのだが、とにかく人手がない。荷役業者がうごいてくれない(ヤミ米、ヤミ酒を要求される)。クルマがない。

ん?(・ω・。) クルマ!(゚∀゚ )
あるぢゃないスか! わが配本車がo(゚ー゚*o)(ノ*゚ー゚)ノ

とゆーことで、前年まで宅配に使っていた配本車が文献を疎開すべく、ギコギコと!`・ω・´)o
とりあえず1回、郊外のお寺まで300冊ほどを運んだのぢゃ。
ところが…
さっき、人手がないといったが、ギコギコしたのは、館長のほかに唯一の男性だった小使いのおじーさん。ギコギコしてぎっくり腰になっちゃった(´∀` )
疎開は延期に。

大日本帝国最初の配本車は帝国とともに

その夜…

未明に空襲があったので、私は図書館がどうなったかが気になって仕様がない。しかしその〔火炎の〕中をくぐりくぐり行きようやく小橋町新地(略)まで来ると、図書館は窓から黒煙が吹き出していた(以下略)(「吉岡三平岡山市立図書館ものがたり(12)」『図書館だより』(74)p.1-2(1969.12)

となりの車庫にしまわれていた(はず)の三輪車がどうなったかについて、サンペーたんの記述はない。が、おそらく図書館庁舎が焼けたときに一緒に焼けてしまったものと推論してよいだろう。
かくて、日本で最初の配本車は、昭和20年6月29日、岡山市立図書館とともに燃え尽きたのであった・°・(ノД`)・°・。
終戦まであと一ヶ月半(*゜-゜)
戦後、サンペーたんが苦労して再開した岡山市立は、再び宅配サービスをはじめるんだけど(昭和27年)、それはまた別の話。
日本で最初の配本車、一巻のおしまい〜(*´д`)ノ

クロウト向きのないしょ話

ところでサ。こんな輝かしい岡山市立の戦前の活躍ぶり(日本初の宅配、日本初の配本車)、なんで今まで図書館史の表舞台に出てこなかったんだと思う?(・∀・) フツーに考えれば、かなーりオカシイよね。
で、だ…(*゜-゜)
このオカシサを説明するのは、ある意味カンタン。戦後の文献をきちんと読みさへすれば自づから明らかなり〜(・∀・)
岡山の事業を抽象的に考察し、戦後の図書館理論とつきあわせ、そこで、どれがハマり、どこがハマらないかをみる。結果、じつは1970年代型図書館運動イデオロギーに決定的にぶつかるある事があると分かった、なんちゅーことはアタマのいい学部生や院生であれば、まぁなんとか書けまする〜(・∀・)
もちろん、戦後のどの文献をきちんと読むか、ということができなけりゃあダメなんだけどね。
で、やってみた。
これについては、「戦後のゴロウタン言説:あるいは、米井論文(1996)以前における楠田五郎太研究史」(仮題)として次号の『文献継承』に載せるつもりなのだ。仄聞するところによれば、次号の『文献継承』は日本初のゴロウタン特集になるヨシ。マジですか?( ・ o ・ ;)
でも…(・∀・)
じつは… その先があるのだ。
もっと具体的なある事件が… ゴロウタンの運命を変へ、日本初の配本車の輝きを隠しちまうことになった昭和1*年のある事件が… そしてその事件があったこと自体を隠したのは…
(おわり)