書物蔵

古本オモシロガリズム

図書館とイデオロギー

GCWたんが意味深なカキコを(^-^*)

何故か当blogに某H大学の司書課程関係のサイトからアクセスが(^^;).(略)もし学生さんが見ているのであれば忠告しておきますが,ウチは業界の主流派じゃないから,ウチを見てレポート書いても良い点はもらえませんよ,恐らく.

http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/memorandum/2008/10/post-f02b.html
目録とか分類とか、あるいはレファ演習とか技術論的なものはいいんだけど、概論とか図書及び図書館史とか、論をたてるのにどうしても大きな物語イデオロギー体系)が必要な科目だと、たしかにムズイねぇ(´・ω・`)
ひとむかし前、友人が司書課程をとるとゆーから、貸出主義の行過ぎについて当時のわちきの問題意識を語ったらそのままレポートに書いちゃったらしくて、Cかなんかを貰っていたことを思い出した(*゜-゜)

正しさより妥当さを

「中小レポートは重要である、市民の図書館はもっと重要である」ということはいえると思うけど、「中小レポートは正しい、市民の図書館はもっと正しい」というのはどうかと思うよ。まぁ当時は正しかったとは思うが。
これまた昔、友人が「イデオロギーとは遅れた価値意識である」と言っていたが、「市民の図書館は正しい」という価値意識が1970年代に正しかったとしても、では2000年代の今、正しいのかといわれれば、なんとも…。社会主義国の崩壊やネットの普及、さらに経済成長の停止を全然考慮しないで2000年代の図書館経営が成り立つとも思えず、ってのはイトガッチあたりに影響されとるのかのわちきも(^-^;)
国会の雑誌に載った三浦太郎先生の文献展望で、

山口源治郎は『市民の図書館』が日本の公共図書館発展の基点に位置し、その安定的構造を支えているがために、今日もなお強い影響力・規範性をもつことを指摘した。

http://current.ndl.go.jp/ca1673
とある。記憶では、山口先生はゆえに「市民の」はまだ有効という書きぶりだったが、わちきなぞは、「今日もなお強い影響力・規範性をもつ」がゆえに、再検討が必要だと思うよ。

当時の連中はもっと冷静だったよ

にしても森耕一の『図書館の話』(1966)はよいなぁと思った。貸出傾斜経営が成功する途中に書かれたものであり、森はさすがに学者だっただけあって、自分の意見(価値観)と事実(森の認識した事実)をきちんと書き分けている。貸出については、ニーズがあるかどうかわからんが(事実)、掘り起こさねば(意見)という書き方をしている。
いまいろんな新しいことをやろうとしている連中には、前川御大の本よりも、森耕一のこの本を薦めるよ。
当時のリーダー達はまともだったのに…
明治の帝国陸海軍がまともだったのに40年たった昭和前期に硬直化したようなもんかすら。そういえば『中小都市における図書館の運営』(1963)から45年、「市民の」からは38年ですなぁ…

日本図書館ブログ論壇の行く末

じつはjapanese bibliobloggerの多くは、ノンポリイデオロギー希薄だから過去のイデオロギーにとらわれないという意味では自由な言説を展開してきた。
端的にいって旧派はブログをやらんかったので。やってたのはケペル先生ぐらいかなぁ… ケペル先生はなんと貸本屋に転業しちまったが…
たとえば利用記録の活用の話なんてのは、活字の世界(専門誌)では論じるまでもなく悪だったので議論できなかったのだが、bibliobloggerたちは比較的冷静な議論をしたと思うよ。まぁこれを持ち出してきた練馬区立はちょっとどうかと思うが。
ただGCWたんもカキコしてたけど、図問研のブログが出来たので、またちと形勢が変わりそうな予感が…