書物蔵

古本オモシロガリズム

友人Aにまたしても…

ヤラレタっちゅーか、助けられたといふか(・o・;)
おっとりがたなで神保町の古書会館に進出すると、すでに友人が来ていて、五反田に寄ったあとだという。
そして見せられたのがこれ(×o×)
ファイリング・システム / 三沢仁. -- 改訂版. -- 日本事務能率協会, 1958
500円で出てましたと見せらる

ほ、ほすぃ〜(´ρ`)

はっきり言って、これはむちゃくちゃスバラシー本であるっ!`・ω・´)oシャキーン
今の日本で「ファイリング」の話がいかにむちゃくちゃな話になっているかということとか、今でもイチバンいいのは服部金太郎の本だと小田先生が書いている話だとかを縷々、語る語る…
すると。

どうぞ

だって(≧∇≦)ノ
げげーっち! わちきがほしそーなカヲをしていたのがばれた(^-^;)

死ぬまでいうぞ! 道具(パソコン)でなく(事業)コンセプトの問題だ!

しかし、パソコンのなかで日本人ってば、あいかわらずアフォなことばかりしとるですよ。
たとえば、パソコン内で書付けを格納するのは今じゃあ「フォルダ」ということになっとりますが。
そのフォルダの管理がまたグチャグチャ。
会社でもグチャグチャ。
ある大きすぎる会社でのこと。
事務文書を全削除されて引継ぎを受けるなんてことがあった… どうも、リテラシーの低い自分の作った文書が「はずかしい」というのがその理由らしい。
あるいは、フォルダが妙にこまかく分類化、階層化されていて、ほかの人には絶対にわからんよーになっている仕事を引き継がされるなんてことがあった… どうやら、まわりのスキルと自分のスキルの格差というのに無自覚な人であったらしい…
しかしなんでこんなにグチャグチャなのか。
って、そんなのあたりまえ。
なぜかというに、

紙時代からグチャグチャだからなのである!`・ω・´)oシャキーン

一知半解なサイババ司書さまがたが、日本OPACが使えないとよく言うが…
そんなことあたりまえ。
だって

紙時代から日本の目録は使えなかったんだもの

もちろん。

紙時代だって亜米利加のoff-line public access catalogは使えたのであるっ!`・ω・´)oシャキーン

あのねぇ。
米国ではきちんとファイリングが出来た後にパソコンが導入されとるの。
米国ではきちんと近代目録法が実用化・実務化された後にパソコンが導入されとるの。
事業コンセプトは紙時代にしっかりやっとるから、パソコンも活かせるの。
ファイリングもカタログも同様に、日本じゃあまだ事業コンセプトが実用化・実務化されとらんままなの。
Webcatだって、まともに件名・分類が引けまい。って、エリトを集めたNIIでそんなシステムを提供したまま問題にならんというところがまた、問題なわけ。日本エリトの中途半端さというか。
昭和20年代のインテリはまだ、愚直に亜米利加に学ぼうとしていたのにねぇ。
亜米利加に学ぼう(=マネよう)とする欧化主義者と、中途半端な日本主義を発揮して、閲覧目録の本質を失わせてしまう日本エリト様ならば、わちきは、昭和2、30年代の欧化主義者に軍配を上げたい。
ということで、上記の本はむちゃくちゃ貴重なのでありまする。
日本OPACが使えない件についちゃあ、まずもって、JLAの分類委員と件名委員の入れ替えが必要だと思うよ。