書物蔵

古本オモシロガリズム

日本文献情報検索事始(大日本帝国にBUNSOKU! 5)

『情報の科学と技術』Vol. 58, No.4 (2008)にこんな記事が載っていた。
時実象一「連載:オンライン情報検索:先人の足跡をたどる(1):「オンライン情報検索:先人の足跡をたどる」連載を始めるにあたって」
これなんか、図書館史マニア的には超オモシロ。
「音響カプラー付き端末機」の写真なんか、見てると涙が出てくるね。

検索エンジンや最近のエンドユーザ向けの検索システムは、一見伝統的なオンライン検索システムとまったく異なるように見えるが、底に流れている技術はほとんど同じであり、40年前の技術が、コンピュータとネットワークの高速化・超低価格化により大変身をとげたということができる。

うん、わちきは「底に流れている技術」を「事業コンセプト」という語におきかえて理解したい。
とすれば、オンライン情報検索という事業コンセプトは40年前から不動で、あったのは機器の高性能化と低価格化であったという総括だね。わちきもこの見方に大賛成なり。
この文献抄録提供システムは、じつは大日本帝国でも秘密裡に行なわれていたということは、書物蔵の読者ならご存知のことですな。
この記事には「情報検索の年表」という略年表があり、1950年代から始まっているわけだが、古本オモシロガリズムの最近の知見によれば、つぎの一行を最初につけくわえるべきではなかろう乎。

出来事 コンピュータ関連の出来事
1944 日本帝国文部省により独逸から「科学論文題目速報事業」が試みられる。 電信の利用

なんちて(^-^;)
いやぁしかし。
図書館情報学系の知見をあだやおろそかにできんのは、「そんなことはとっくに考えられ、やられていたこと(ただし、低性能の高価な機械で)」というものを、「わちきがはじめてやりますた」とか「暗黙知形式知化でござい〜」とか、ほんきで信じ込んじゃうようなアフォアフォな自意識肥大を避けられるということ。
どうも日本のヤル気のある人たちは、夜郎自大というか、なにも参照せんままにやれエビデンスだのそれナレジだのってはやりコトバにとびついちゃうからね。
外来のそういった新語も、本国では既存のコンセプトが十分知られ、やられもしたうえで、さらにそれを超えるには、という文脈で出てきている。
一歩ゆずれば。
そういった新語は、外向きの看板として使うがよい。信じ込んじゃあ命取り。看板で客寄せ、予算ゲットしておいて、その裏で、まともに動く事務処理システムをつくったりとかするのが上策。
いくらいっしょうけんめいやろうとも、それが成功するか(失敗するか)は事業モデルの問題だっちゅーの(*´д`)ノ