書物蔵

古本オモシロガリズム

レファ神の著作一覧

日本のレファ神サマである志智嘉九郎(1909-1995)
じつは前半生が興亜院調査官であるので、前半部がかなりアヤシイが。
さまざまに工夫をこらして著作一覧を作成してみた。
刊行年順に排列したので人生の道のりがほのかに。

  1. 北支に於ける文教の現状 / 興亜院華北連絡部.北京 : 興亜院華北連絡部,1941  これは志智(1986)末尾リストから推定したもの。かなりアヤシイ。所蔵館僅少。やっぱりかなりアヤシイのではずす
  2. 中国の性格 / 江井洋三編. -- 華北學會, 1942  所蔵館僅少。国会なし。北原尚彦『新刊!古本文庫』(ちくま文庫2003)に簡単な感想がある。
  3. 漢民族と北方民族の接触における諸様相 : 特に漢民族民族意識について / 志智嘉九郎. [北京] : [興亜院], 1942. -- (満州国経済関係資料)  所蔵館みあたらず。え?どっから書誌データをもってきたかって?
  4. 神戸市立図書館四十年史 / 志智嘉九郎編 . -- 神戸市立圖書館, 1950  しばらくまえにネットでゲット
  5. レファレンス / [志智嘉九郎] . -- 文部省社会教育局, 1954 
  6. レファレンス / 志智嘉九郎. -- 日本母性文化協会, 1954  おそらく文部省版と同じもの。めずらしい。北海道から購入。
  7. 古今名局選. 第1集 / 佐藤直男,志智嘉. -- 創元社, 1956. -- (創元囲碁新書)
  8. 古今名局選. 第2集 / 佐藤直男,志智嘉. -- 創元社, 1956. -- (創元囲碁新書)
  9. レファレンス・ワーク / 志智嘉九郎. -- 赤石出版, 1962  めずらしい。しばらくまえにゲット。
  10. 三叉路の赤いポスト / 志智嘉. -- みるめ書房, 1963  身辺雑記中心。めづらかゲット。
  11. 風雪の記録 : 橋本宇太郎勝負碁二十番 / 志智嘉編. -- 囲碁新潮, 1968
  12. 空論集 / 志智嘉九郎. -- 志智嘉九郎, 1969  前半は図書館関係の既発表論文を再録。めづらかゲット。
  13. 幻庵因碩 / 橋本宇太郎解説. -- 筑摩書房, 1975. -- (日本囲碁大系 / 林裕総編集 ; 第11巻)  注記: 囲碁史年表:p.268-270 ; 執筆:志智嘉九郎
  14. 知事の難題 / 志智嘉九郎. -- 豆本“灯"の会, 1978.3. -- (灯叢書 ; 第8編)   1986の後半に再録された。南輸造による書評が郷土誌にでた。ゲット×2(・∀・)
  15. 桂林のそうらん節 / 志智嘉九郎. -- 志智嘉九郎, 1983.12
  16. レファレンス・ワーク / 志智嘉九郎. -- 改版. -- 日本図書館研究会, 1984  石塚栄二による「覆刻にあたって」が2p.分あり。「誤植を訂正し、一部の表現・表記を改めた」とある。国会所蔵なし。納本しとらんのかの。じつは古本屋ルートですぐ買える。買うべし。
  17. りべる-黎明期の参考事務 / 志智嘉九郎. -- 志智嘉九郎, 1986.8  めづらしい。
  18. 弍人の漢奸 / 志智嘉九郎. -- 〔志智嘉九郎〕, 1988.7
  19. さつさ・さすけ / 志智嘉九郎. -- 〔志智嘉九郎〕, 1989.3
  20. 淡路の苗字 / 志智嘉九郎. -- 〔志智嘉九郎〕, 1992.7
  21. 中国旅游記 / 志智嘉九郎. -- 〔志智嘉九郎〕, 1993.5
  22. 橋本宇太郎圍棋世界

典拠:1963 1969 とくに1986末尾の著者自身によるリスト。ただかなりあやふやな書き方になってる。ほかにWeb猫、全国書誌索引など。
もちろん。
上記は単行本の著作なわけで、雑誌記事や論文集の論文などは(その多くが上記に採録されているが)リスト化してありませんよ。単行本未収録の重要記事もあり。
あとかなり関係ないけど。2重なイミでわちきに損(よけーなことだし絶対喜んでくれないから)なことを言っちゃうと、伊藤先生の講演で

古今東西 森羅万象」「ダイヤルのなかの図書館」「会して議し,議して決し,決してこれを行わず」などの志智嘉九郎名言集の紹介

がなされたとゆーけど、2つめの名言は、

東京都大田区立図書館の発明にかかる「ダイアルの中の図書館」は秀〔ママ〕れたキャッチ・フレーズであるが

と、志智自身(1984 p.245)が自分の発明でないと言っておりますが(・o・;)…
ただ、志智のレファ論を斜め読みしてあらためて気づいたのは。
この人、レファを終始一貫、遠隔サービス(電話レファレンス)をデフォルトで考えている…
すごい(゚Д゚;)
これじゃあ「空論ばかりしてる」と当時部下に言われるわけだ。